のんびり寄り道人生

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晴れたら空に骨まいて

 川内有緒著『晴れたら空に骨まいて』を読んだ。

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(以降、同書より引用)

 これは、親しい家族や友人を失い、見送った五組の人々の物語である。その共通点は、世界のどこかに遺骨を撒いた、あるいは撒こうかなと考えているということ。(略)

 要するにこの本は、自由に生き、その人らしく死んでいった人々の話であり、さらにその故人を、「その人らしく」をモットーに形式に囚われずに見送った人々の物語だ。散骨にこだわったわけではなかったが、散骨の話が多くなったのは、きっと風や波と共に旅立つその姿が自由な生き方に似合うからなのだろう。

  • ミクロネシアの小さな島の小さな村で、レストランを開いた夫婦
  • 登山家との生前の約束を果たそうとヒマラヤに挑んだ大家族
  • 絵を描く旅の途中で客死してしまった父親を現地で見送った家族
  • インドで出会った友人を看取り、インドの川に還した若き装丁家

 こうして書くと、みんな旅が好きで、個性的な人ばかりだった。しかし、彼らは特別な人々なんかではない。精一杯生きて、働いて、旅して、誰かを愛したふつうの人々である。残された人は、今日も彼らを想いながら生きている。

  著者が上記4組をインタビューするに至った最初のきっかけを与えたのは、母の友人だった。

話を聞いてみると彼女は、八年前に亡くなった旦那さんの遺骨をクッキーの缶に保存し、少しずつ出張や旅行に持っていき、何年もかけて世界の川や海に撒いているという珍しい人だった。「セーヌ川とか、万里の長城とか、あっちこっち行ったわね!」という軽快な語り口には湿っぽさがまるでない。どこか現実離れした話に圧倒されていると、彼女はさらりとこう言った。

「だって、土の中に入れちゃったらかわいそうじゃない? あれだけ旅が好きな人だったんだもん」

 ただ旅をさせてあげたい、それが出発点か。そうわかった瞬間、髪の毛が逆立つような、ぴりぴりっとした感覚を覚えた。すてきだと思った。「ネパールから帰ったら、詳しい話を聞かせてください」と頼んでいた。

 自分でも意外な展開だった。それまで私が惹かれるテーマはいつも「生」だと決まっていた。異国で自由にたくましく生きる日本人たちや、楽器一つで放浪するベンガル地方の吟遊詩人、などなど。その燃えさかる炎のような生き方に恋い焦がれて、彼らの背中を追いかけるように文章を書いた。その一方で、「死」の方は、押入れの奥深くにでもしまっておいて、取り出さずにすむなら二度と取り出さないでおきたい類の話だった。

 しかし、このコロコロとよく笑う女性に出会って気が付いた。当たり前なのだが、「死」とは、「生」という長いすごろくのゴールなのだ。自由な「生」の先には、必ず「死」がある。それらは言葉こそ違うけれど、ひとつの川のように連続したものだ。

 いや、そこまでは私もわかっていた。新たに気がついたのは、「自由な人生」の後には、さらに、「自由な見送り方」という広い海があるということだった。

 人は、どう生きることもできるし、どう見送ることもできる。

 旅を続けさせてあげたいという気持ち一つで、遺骨と一緒に世界旅行をした彼女のように。

 亡骸の処理について、見送られる側の意志を、見送る側がちゃんと尊重するケースは現実にどれほどあるのだろうか?所詮、生きている人たちの世界だ。生きている人たちの都合が優先される現実があるからこそ、本書に登場する”送り人(見送る側の人)”たちの行為が清々しく輝いている。

 少し脱線するが、昔、母が私によく語り聞かせた蛙(カエル)の童話を思い出した。天邪鬼の子蛙と、そんな子蛙に手を妬いた母蛙の話だ。

 母蛙は子蛙に用事を言いつけるが、西に行けと言えば東に行き、洗濯物を乾かしてと言えば洗濯物を洗ってしまう。食事の時もオモチャで遊んでばかりいる。ある日、気苦労の絶えない母蛙は病に倒れ、子蛙に遺言を残した。「私が死んだら、川に流してね。絶対、山に埋めちゃダメだよ」と。言いつけたことと真逆なことをする子蛙の行動を見据えた言葉だった。だが、亡くなった母蛙を前に子蛙は大泣きしながら改心し、母蛙の言いつけどおりに亡骸を川に流した。それ以来、川辺では蛙の悲嘆にくれた泣き声が響いているそうな。

 (子蛙に負けず劣らずの天邪鬼だった?)私に母は「ちゃんとお母さんの言うことをきかないと、あなたも愚かな行動をすることになるよ」というような”教訓”を与えたかったのだろう。だが、当時の私は”オチ”を分かっていなかった。「蛙は水辺に暮らしているのだから、川(好きな場所)に流してもらってよかったね」くらいにしか思っていなかった。実は、母蛙が「山に埋めてもらう」ことを本望としていたというのが本来のオチである、と気づいたのは、かなり大きくなってからである(恥)。。

 私は早くに父を亡くしているせいか、子供の頃から「なぜ死ぬのか?」「どうやって死ぬのか?」「死んだらどこに行くのか?」など死に対しては興味深々だった。子供心ながら、いつか死ぬことが確実に決まっているのなら、予め死に備えたかった、という計算もあった。だが、死に関する素朴な疑問は大人たちを驚かせ、むしろこちらの精神状態を心配された。それでも好奇心に駆られ、しつこく聞くと「そんなことは考えるな」と一蹴されたり、話を交わされたりした。また小学生の友人たちに話題を振ってみたところで、まだ身近な人の死に立ち会っていないせいか反応が薄い。。また彼らにとっては死を考えることそのものが怖いらしい。あるいは自分に死なんて関係ないと思い込んでいるフシもあった。「そうか、日常会話で死に関する話をしてはいけないのだな」と、ようやく周囲から情報収集することを諦めた。その結果、なぜか死への好奇心はオカルト映画、怪奇現象を扱うワイドショー、精神世界などに向かってしまう。。もう少し早い時期に読書習慣が身についていたら、もう少し広い視野に立って柔軟な価値観を身につけられたのかもしれないのだが、、、常に変人として扱われている私の”ベース”は子供時代からズレまくっていたなぁ、と改めて思う。。

 さて、閑話休題。私ほど極端ではないが、本書の著者も周囲との”ズレ”を感じたエピソードを1つ披露している。

私たちの間ではごく自然に語られる散骨だが、世の中ではまだ特殊なのかな、と考えさせられる機会が最近あった。私の知り合いが旦那さんを亡くされたのだが、すぐに入れてあげられるお墓がないと悩んでいる様子だった。

「それなら、しばらく手元に置いておいてもいいですよね。私たちの父が亡くなった時は、遺骨はずっと自宅に置いておいて、三回忌にようやく海に散骨したんです。だからお墓もないし」

 私なりに誠意をもって慰めたつもりだったが、彼女は怪訝な表情になった。

「えっ?散骨って、違法じゃないんですか?」

 その時、そうか、そんな風に考える人もいるのかと驚いた。

 答えからいえば、違法ではない。八〇年代までは、「遺骨はお墓に」という社会通念が強く、法的にも「死体遺棄」との境が曖昧だったようだが、自然葬への需要が高まるにつれ、法務省からも「節度をもって行われる限り、罪にはあたらない」との見解が打ち出された。そもそも、お墓を建てるという習慣はここ百年くらいのもので、江戸時代の庶民は故人を海や山に埋葬していた。その後、誰も彼もがお墓を持つようになったものの、最近は葬儀のありかたや考え方も多様化した。自然葬や散骨の希望者も増え、そのための専門業者も多数出てきている。それでも、一般的にはまだ散骨などはマイノリティなので、その方法は確立しておらず、三々五々に実施されているのが実情だ。つまりは、大枚をはたいてクルーズ船をチャーターし、大勢で海に乗り出すこともできるし、ぶらぶらと散歩がてら遺骨をカバンに入れて夜の公園に行くこともできる。

  今の日本において、いろいろな問題も山積しているが、個人が自由を謳歌できるのは有り難いことだと思う。著者の言葉をもう一度引用すれば「どう生きることもできるし、どう見送ることもできる」。その点では恵まれた時代だと言えよう。さて「どう見送るか」について、さしあたって私にとっては母の希望を叶えるのが先だが、ついでに自分の最期についても思いを馳せてしまう。なるべく他所様に迷惑がかからないのがいいに違いないので、歩ける程の体力が残っていれば、おりん婆さんのように山に入って人生を終えたい(あっ、母蛙と一緒だ!)。

 ただ、いくら自由意志があっても何らかの事故や病気により、また大規模な災害、気候変動、好戦的な世界情勢の中にあっては、いつ自分が命を失ってもおかしくはない。「終わりが分からないからこそ、人間は人生を謳歌することができる」と、知恵者は言うのだが、生の先に待ち構えている死について妄想を巡らしてしまう性(さが)は、やっぱり変わりそうにない。(※ちなみに自死など考えていませんので、誤解なきよう…)