のんびり寄り道人生

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エーリッヒ・フロム著『人生と愛』

 エーリッヒ・フロム著※『人生と愛』を読んだ。

※ハンス・ユルゲン・シュルツ【編集】/佐野哲郎、佐野五郎【邦訳】/über die liebe zum leben【原題】/For the Love of Life【英題】

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 「新フロイト派」の代表的存在として知られる深層心理学者・エーリッヒ・フロムは、1900年ドイツ・フランクフルトに生まれ、ベルリン大学精神分析学を学んだりしたのち、フランクフルト社会研究所を経て、1933年アメリカに渡り、のちに帰化したという。(ちなみに1933年は、ヒットラーがドイツ首相に就任し、ナチス政権が誕生した年だ。)1972年から1980年(没年)までの間、フロムが母国の南ドイツ放送(ラジオ放送局)に招かれて講演・対話した内容が本書のベースとなっている。本書の編者で、当時フロムの対談相手となった同放送文化部編集長シュルツ氏は、スイス・チューリッヒでフロムと初めて出会った日のことなどを興奮気味に述懐する(以下、同書「はしがき」より)。

 (略)私たちは放送局へ車を走らせた。彼はさっさとマイクの前に席を占め、自在に語った。六回、きっかり二十九分ずつであった。彼がつけたただ一つの条件は、私がそこにいることであった。相手が、つまり、顔のない聴衆の代理として、語りかけることのできる対象が、必要だったのである。ラジオ放送で、自由な、しかも充実した話を系統立てて聞くという幸運は、私たちにはなかなか与えられるものではない。

 フロムが彼の主題を展開し、実り豊かなソクラテス的な思考の散策に私をいざなっている間に、私は、ガラス窓の向こう側のモニター室で何かが起こっていることに気付いた。当時フロムはまだ私たちにそれほど知られてはいなかったが、このチューリッヒ放送局の中では、何か聞きのがせないことがあるらしいといううわさが広まっていたのである。いろいろな部署に勤務している人たちーー技術者、秘書、管理人、さらには編集室の同僚たちまでーーが入り込んで、身体をくっつけ合って立って、耳をそばだてていた。私はラジオにおける対話の可能性というものを、あまり信頼していない。それは過大評価してもいけないし、乱用してもいけないものであって、ラジオに合った間接話法の文体を発見することが必要なのである。ところが、フロムはこの原則の例外を打ち立てたのである。機械装置のおどしに対して、彼はあきれるほどのむとんちゃくさで立ち向かい、メディアの置いた障害をあっさりかわしてしまったのである。どのようにして? フロムはあれこれと語りながら、思索したのである。相手は置物ではなかった。相手とその反論とは、初めからフロムの思考の中に現実としてあったのである。彼は話しながらも耳を澄ますことができた。彼はそれほどまでにすぐれた聞き手であったからこそ、それほどまでにすぐれた話し手であったのである。

 そうだ。チューリッヒの放送局でのその瞬間、私にははっきりとわかったのであった。エーリッヒ・フロムの著書はーーアメリカでは四十年来ベストセラーのリストにあるのだがーーこちらでも、間もなくその隠れ家を出て、だれにも止めることのできない出現(エクソドス)の一歩を、公衆の前に踏み出すであろう、と。すでに少し前から、一ダースほどの著書が出てはいた。出版社はばらばらで、かなり粗末な翻訳であった。しかし、思うに、長い眠りを終わらせるために、フロム自身が来なければならなかったのである。奇妙なことだが、たぶんここにおいて、書き手と人間とが同じ一人の人物となったのだと、説明できるだろう。一方が他方を説明したのである。彼の声は彼の言葉の肉体であった。フロムは生の声で語ることを基本とする伝統ーーそれはユダヤの伝統であるーーの中で成長した。彼の全仕事は、一個の主題の倦まざる変奏である。書き直しと繰り返し、深化と先鋭化、つねに新しい刺激、そして理解へのいざない、に満ちている。学問的な著述家の中で、彼ほど反復の多い人物はめったにない。フロムにとっては、過剰の欠如はすなわち貧困であったのだろう。私は読むたびごとにあらためて驚くのだが、彼の著書からはいかに豊かな刺激、励まし、洞察、説明があらわにあふれ出ることだろう。そして、読む者の目のうろこが落ちるのである。

 この「はしがき」に続く本文を読むまでは、何とも熱の入った他己紹介に若干気圧されていたのが、本書のページを繰るごとにシュルツ氏の冷めやらぬ興奮が分かるような気がした。人生や愛という人間にとって普遍的なテーマが、各時代によってさほど変わるわけでもあるまいが、読み手の心の状態やタイミング次第では、毒にも薬にもならないのが、”名言”と呼ばれるものの奥深さなのかもしれない。40年程前の講義/対話だが、今もなお色褪せない。(以下、同書「人間とは何者か」より)

 一度も幸福を経験しなかった人は、たくさんいる。一度も苦しんだことのない人はいない。たとえ苦しみの意識を追い払おうとたえず努力しているとしても。同情は人間に対する愛と分かちがたく結びついている。愛のないところに、同情はありえない。同情の反対は無関心である。そして無関心は、分裂症的な病的状態と表現することができる。個人に対する愛と呼ばれるものは、しばしばただの依存的結びつきにすぎないことがわかる。一人の人間しか愛さない者は、だれをも愛さないのである。

 コンパクトにまとめられた本書に詳細は触れられていないが、フロムの思想のベースには、長らく敬虔なユダヤ教徒として生きてきた(迫害も含めた)実体験や、怜悧な精神分析家としての臨床経験があるのではないか。それらがフロムを”すぐれた聞き手(話し手)”にならせたことは想像に難くない。思いを率直に、相手に届くような表現で語りかける、これもまたフロムが聞き手に向けた愛の作法なのだろうか。

 しばしば著名人の”名言”が文脈構わず切り取られて流布されていくのを見るにつけ、複雑な気持ちになる。ある人にとっては、それが”きっかけ”となって原著にあたるのかもしれないが、(私を含め)大多数の人は短いフレーズだけで、さも何か分かったような気になって満足してしまう(原著までたどることはまずないはずだ)。そんな自戒を込めて、今回は”源流”をたどってみることにした。現在、他の著作原書と並行しながら読み進めている。教養目当ての実利から距離を置き、著者の思想にじっくり向き合ってみる。耳を傾ける。自らの思いを巡らせる。より深く、より広く。