のんびり寄り道人生

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映画『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』

 映画『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』(MITT LIV SOM HUND、MY LIFE AS A DOG、1985年、スウェーデン)を懐かしい思いで観た。

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 あらすじ:Amazonレビューより一部引用

舞台は50年代末のスウェーデンの小さな町。12歳の少年イングマルの毎日は、兄にいじめられ、出稼ぎに行った父は戻らず、母は病気、とうんざりするようなことばかり。母の病状が悪化し、イングマルは叔父の住む田舎の村に預けられる。やがて母が死に、家族はバラバラになってしまうが、一風変わった村の人たちとの交流が、イングマルの心をゆっくりと癒していく…。

 学生時代に本作を観た当時は、主人公の少年・イングマルやボーイッシュな美少女・サガの愛らしさに、すっかり魅せられたものだ。モノローグ(独白)を通して語られる少年の一途な思いや大人顔負けの恋愛模様に、胸がキュンと締め付けられた。この頃の私はピーターパン・シンドローム(本来は成長を拒む男性を指す)のような”気”があって、やたらと”子供モノ”にはまっていた。子供らの”純粋さ”の中に”共感”と”癒し”を求めていたのだろう。だが、主人公が子供というだけで手に取ったアゴタ・クリストフの小説三部作『悪童日記』、『ふたりの証拠』、『第三の嘘』を読んだ時、そんな自らの浅はかな”子供観”が崩れ去るほどショックを受けた。登場人物である大人顔負けの”悪童”たちに比べると、明らかに年上の自分の”ウブさ”が気恥ずかしくなった。。『自分が思っているほど子供は純粋な存在ではないのかもしれない。。』と遅まきながら”大人の階段”を昇り始めた気がする。

 閑話休題、本作に戻る。邦題が付いていない「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」という映画のタイトルはシンプルながら、とても印象的だ。ちなみに、この「a dog」というのは、いわゆる不定冠詞の「a」+名詞の「dog」だ。学校で習った英文法では不特定多数の犬全般を指す言葉のはずだが、本作の中で圧倒的な存在感を示す「ある犬(ライカ犬)※」を暗示しているのだろう。その犬は元々、野良犬だったことを考えると、「a dog」も納得できる。生まれた時には名前すら与えられなかった、ちっぽけな存在が、やがて数奇な運命をたどり、世界で最も有名な”英雄犬”として名を遺すことになったのだ。少年は夢想する。

宇宙を飛んだ、あのライカ犬スプートニクに積まれて宇宙へ。心臓と脳には、反応を調べるためのワイヤー。さぞ、いやだっただろう。食べ物がなくなるまで、地球を5カ月回って、餓死した。僕はそれよりマシだ。

人間の都合で一方的に死に追いやられた犬の運命は、繊細な少年の心に大きなショックを与えたのだろう。少年の言葉は鋭く、ストレートだ。

こういう時は、ライカ犬の事を考えよう。最初から回収できないと知ってて、死ぬ事を承知で打ち上げた。殺したのだ。

少年の中で幾度もライカ犬のことが反芻される。まるで、やがて訪れる”死”の受容を準備しているかのようだ。

比較すれば、僕は運が良い。比較すると、距離を置いて物を見られる。ライカ犬は物事が、よく見えたはずだ。距離を置くことが大切だ。

 少年は母親の病気によって田舎で暮らす叔父一家に預けられる。それを機に新しい環境で、新しい人間関係の中で、自分の世界を広げながら、少年はゆっくりと成長していく。一方、心の奥底では大好きな母親や愛犬・シッカンと離れた寂しさを紛らすため、少年なりに”プロセス”を踏む必要があった。好き好んで、この地に来たわけではない。自らの意思によらず宇宙に送られてしまった不憫なライカ犬を我が身に重ねながら、少年は何とか自分の人生を肯定しようと努める。未熟ながらも本質を突く思考的なモノローグの数々は、少年のひたむきさ、前向きさ、ユーモアなどをよく表していて、少年の魅力をよく伝えている。

 少年はシャイであるにもかかわらず、やたらとモテる。少女たちにとって、ちょっと頼りない振る舞いが母性をくすぐるのか、同世代の少年たちにはない”内省的な陰”に惹かれるのか、どこに行っても”おませ”な少女たちにモテるのだ。一般的に、この年頃の男女差は明らかで、少女は少年に比べ早熟で、世間というものを実によく分かって振舞っている。だが、ウサギとカメのイソップ童話のように、成長するにつれ出遅れたカメがウサギを追い抜くことはままある。

 一つ疑問が浮かぶ。少年にライカ犬のことを教えたのは誰だったのだろう?物知りだけど、いじめっ子の兄か?それとも読書好きで病気がちな母か?あるいは船乗りとして遠く海を渡ってしまった父だろうか?たまたま学校や近所の噂話で耳にしただけなのかもしれない。いずれにせよ、誰かにとっては一時的な話題でしかなかったかもしれないライカ犬のエピソードが、まだ幼い少年の心には、グサッと引っかかったということだ。

 人との関わり合いの中で、つまり実社会(世間)の中で、人にもまれて人は成長する。と同時に、人は内省する生き物だ。一人じっくり物思いに耽る中、今までは越えられなかった”段差”を越えられるようになることもある。そんな自身が備えている”成長力”を頼もしく感じた物語であった。きっと年齢は関係ないのだろうな。

 

(参考1)ライカ犬:生物が無重力下で長時間生存することができるかを確かめる目的で、1957年ソ連基地局から打ち上げられたR-7に乗せられた”片道飛行”で地球をあとにした犬。後に”ライカ”として知られることになる、この犬の名前など所説あるようだが、詳細はこちらのサイトで分かりやすくまとめられている。

(参考2)少年のモノローグについては人生論的映画評論・続より一部引用させていただいた。

zilgz.blogspot.jp