鈴木大介『脳は回復する 高次脳機能障害からの脱出』
鈴木大介・著『脳は回復する 高次脳機能障害からの脱出』を読んだ。
2015年5月末、著者は41歳半ばで「脳梗塞」※1を発症し緊急入院した。それから約2か月で退院したものの、刺激の少ない入院生活から自宅療養に入り、急激に押し寄せた現実世界の強烈な刺激により、著者は日常生活の中で数々の「できなくなってしまったこと」に気づき、自身の闘病記録を続けた。リハビリ医療の支援を受け、身体はみるみる回復し、比較的軽度な麻痺が残る程度で済んだが、「高次脳機能障害」※2による「全身をとりまく異世界感」や「自分をコントロールできない苦しさ」に打ちのめされたという。
【著者によるゆるい用語解説】
※1脳梗塞=脳の血管が詰まって脳細胞がお亡くなりになってしまうこと。
※2高次脳機能障害=脳細胞がお亡くなりになったことで、認知機能や情緒コントロールなどに障害が起きること。
(以下、本書より)
僕が取材してきた様々なトラブルと障害を抱えてきた人たちは、たとえそう見えなくてもつらいんだろうなとは思ってきた。けれども実際に自分が当事者となって痛感したのは、こんなにも苦しいものだとは思ってもみなかったということ。
病後、僕はおっぱい号泣君(引用者注:視線や感情のコントロールができない人)になったが、その他にも様々なことがやれなくなり、どうでも良いことで猛烈に苦しさを感じるようになった。
- 自分が自分であると感じられなくなった。
- 夜のベッドで正体不明の窒息感に襲われ、七転八倒するようになった。
- 人ごみの中を歩けなくなった。
- 電話をかけると知らない人が出る(引用者注:短期記憶の低下により、一時的に電話番号を記憶できず何度も間違い電話をかけてしまう)。
- FM放送のハイテンションなパーソナリティの言葉が全く聞き取れなくなった。
- Jポップを聞いているとパニックになる。
- お笑い番組を見て激怒するようになった。
- 買い物の会計や、窓口におもむいての手続きごとができなくなった。
- あらかじめ立てていた予定を変更されたりすると、叫び出したくなった。
- 人と会う約束が守れない。
- 人とまともに話ができなくなり、誰にも会いたくなくなった。
さらに著者は、本書を執筆時(脳梗塞発症後2年半)に、自らに対する観察、考察、試行錯誤に加えて、研究者や当事者によって書かれた書物を読んだり、医療スタッフの意見を聞いて、自身が体験した「高次脳機能障害」を以下のような専門用語で総括している。
書き出していたらきりがないが、こんなものはほんの一部に過ぎない。病前なら何事もなくできていた様々に、いちいちつまずき、いちいち死んだ方が楽だというほど心が苦しく息ができなくなる。ところが、そうして悶絶する僕の横で背中をさすりつつ、こんなことを言う人物がいた。
「つらいよね。ほんとつらいよね。分かります。でもあなたも、ようやくあたしの気持ちがわかったか」
この人物こそ、発達障害を抱えた著者の奥様(お妻様)である。(以下、現代ビジネス連載「されど愛しきお妻様 」より引用)
実はこの高次脳機能障害とは、「後天的発達障害」と言い換えても良いほどに、その当事者感覚や抱える不自由感が一致している。もちろん脳の先天的障害である発達障害と違い、高次脳機能障害はリハビリや時間経過で回復していくという違いはある。
僕自身の高次脳機能障害もほぼ2年をかけて大幅に改善したが、ここがポイント。僕自身が高次脳機能障害を抱えたことは、つまり僕が一時的とはいえ、お妻様と同じ不自由感を味わったということだ。
「ようやくあたしの気持ちが分かったか」。そうお妻様は僕に言い、障害を持つ者の先輩として、僕の障害の受容やリハビリを全面的に支え続けてくれた。その一方で僕は、後悔の念に苛まれまくることになった。
「なんで〇〇できないの?」
険しい口調で、いったい何百回、何千回、僕はお妻様のことをなじり続けてきたことだろうか。
語弊を恐れず言うならば、障害とは、機能が欠損しているということ。僕がお妻様に言い続けてきた叱責の言葉は、片足を失ってしまった人に「なんで両足で歩かないの? 遅いから両足で歩けよ」と言い続けてきたようなものだったのだ。なんという残酷なことを、無意識にやってきてしまったのだろう。
なんでって言われても、できないものはできないのだ。
みずからが高次脳機能障害になったことで、ようやくそのことに気づけた。
そして、改めてお妻様がなにができないのか、「何だったらできるのか」を深く考えた結果、僕はそれまで15年以上僕を苦しめてきた「仕事も家の中のことも全部僕が背負う」という重荷から解放され、お妻様に小言を言うことはなくなり、お妻様は家事の大半を担うようになった。現在では1日の家事にかける時間と労力は、お妻様の方が多いぐらいだと思う。
嗚呼、本気で思う。こんなにもお妻様が動いてくれるなんて、夢のようで、信じられない。色々辛かったけど、脳梗塞になってよかった。
同時に思うのは、これまでの記者活動の中で会ってきた人々のこと。そこには、様々な障害を持つパートナーに苦しんでいる人や、障害を抱えていることが原因で陰惨なDVの被害者となってしまった女性などが数多くいた。
確かに発達障害を抱えた大人は、加害的な面と被害者になり易い側面を併せ持つ。けれども彼ら彼女らは、他に得難いユニークなパーソナリティの持ち主だし、ちょっとしたコツさえつかめば、家族も含めてその障害と共存して平和に家庭を運営していくことは、十分に可能なのだ。
本書は一闘病記でありながらも、普遍性を持ったメッセージがたっぷり詰まっている。例えば多くの脳卒中後の患者に対して医療者が発する「障害の回復は半年が勝負で、そこからの回復はあまり期待できない」という説明に対して、著者は真っ向から異議を唱える。「それは身体のマヒについての説明で、高次脳機能は遥かに長い5年10年といった時間をかけて、ゆっくり回復が期待できる」と。「高次脳は回復する。残念ながらそうでない重篤なケースもあるが、そこには絶望ではなく希望がきちんと残されている。」この点については著者が一番、力説したいメッセージなのだろう。幸いにして回復した著者だからこそ言えるのだ、と言ってしまえば身もふたもないが、時には”医療の常識”を疑ってみることも必要だと思う。
面白いネーミングセンス(言葉のセンス)が光る、チャーミングな奥様の存在も、高次脳機能障害からの回復に大きく貢献したそうだ。全幅の安心感で寄り添える存在と一緒に、都心から離れた田舎でのんびりと、フリーランスのルポライターという比較的自由な立場で仕事を続けられたからこそ、マイペースで”日常生活”というリハビリを地道に続けられたという。
著者の体験は、まるで”あの世”から生還してきた人の語りだ。高次脳機能障害から回復し、言葉を失った人が再び言葉を手に入れた。多種のコントロール不全により、伝えたいこと(思い)を伝えられなかった著者は、今、並々ならない使命感を持って語り部になっているようだ。