のんびり寄り道人生

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ラオス旅行の記憶

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 脚を悪くしてから、大好きだった海外旅行とも、すっかり縁がなくなってしまった。。たまに記憶の奥深くから”甘酸っぱい旅の思い出”を引っ張り出しては回想してみる。だが、ぼんやりした感動は残っているものの、色鮮やかだった細部の記憶は忘却の彼方に行ってしまっている。。。脳科学的には、なかなか出てこない記憶も長期記憶として蓄えられてはいるらしい。ただ記憶の”取り出し”が老化によってスムーズにいかなくなるのだという。以前、外付けハードディスクにコツコツ溜め込んだ音楽データを呼び出そうと電源スイッチをONにしたところ、なぜか電源が入らず、泣く泣く思い出の楽曲たちを諦めたことがある。あの時の無念さが蘇ってくる。

 数年前に訪れたラオス(Laos)のことを、ふと思い出した。いわゆる”観光資源”のない貧しい国だが、当時の私は「何もない」からこそ旅する意義があると感じていた。都会の喧騒や疲れる人付き合いから逃避するには持って来いの場所だったからだ。あれから3年経った今、ラオスはどういう状況なのだろう?と思ってインターネットで調べたところ、最近、国際協力機構(JICA)を通じて、埼玉県、さいたま市横浜市川崎市の4自治体がラオスの水道事業へ技術協力するプロジェクトが動き出したことを知った。

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 また世界銀行が国際開発協会(IDA)を通じて4,000万米ドル(約44億5,100万円)を拠出し、ラオス国道13号線の改修を進めるプロジェクトも動いているという。

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 公的機関の建前はさておき、民間レベルでは中国に代わる”安い労働力”を求めて世界各国の注目がラオスに集まっているのだろう。営利目的でもラオスのインフラが整備され、経済発展を遂げることは大変、喜ばしいことだと思う。ただ『あの頃の自然豊かなラオスがもう観られなくなるかもしれない…』という一抹の不安や寂しさは残る。

 ラオス旅行当時、事前に計画もたてず、現地のテレビで見た天気予報に示された”主要都市”をバスで周ることに決めた。現地到着日と出発日以外、宿を予約せず、気の向くままにラオス北部を巡ることにした。首都・ビエンチャンや観光都市・ルアンパバーンは都会なので移動に問題はない。だがベトナム国境に近い山岳地帯へ行くには交通手段や便数が限られてしまう。何とか英語が分かる現地人に教えてもらってバス乗り場に向かい、”高速バス”に乗り込んだ。

 2階建ての寝台(上段)の自席で寝転がって見ていると、10代か20代前半と思われる若者がバスの運転手らしい。同乗しているスタッフらしき若者2名と賑やかにおしゃべりをしている。やがて大きなエンジン音を吹かせながらバスが動き始めた。だんだん都市部の見慣れた風景が消え、緑が深くなっていく。バスは山脈沿いの未舗装の道を走りながらガタゴトガタゴトと大きく車体を揺らしていた。どこにもバス停や交通標識が見当たらない。運転手の若者は臨機応変に客を乗り降りさせながら、時折、荷物の運搬も請け負っているようだった。古びたバスは砂埃を舞い上がらせ石ころだらけの道を1日10時間以上走り続けた。

 案の定というべきか、途中でエンジントラブルが起こった。小さな食堂前に乗客を誘導し、若者3人はエンジンと格闘し始めた。1時間ほど経過しても動く気配がない様子に乗客がイライラし始めたのを察したのか、運転手の若者は遅延のお詫びにランチを無料で提供してくれるという。現地語が分かる外国人の乗客を通じて、食堂のおばさんに欲しいメニューを伝えるように言われた。だが、山奥でのトラブルに『無事に帰国できるだろうか?万が一の時は仕事どうする?』という不安がよぎり、食いしん坊の私にしては珍しいのだが、全く食欲がわかなかった。結局、ランチはパスして、緑豊かな周辺を散策しながら気を紛らわすことにした。数時間後、奇跡的にバスは動いた。

 車内は中国人観光客の賑やかな声で溢れていた。絶えることがない食べ物の臭いもキツい。彼らの乗車マナーにうんざりしながら寝台に横たわっていると、小さな荷物を抱えた10代前半くらいの少女が母親と思しき女性に見送られた後、車内に乗り込んできた。ちょうど寝台が彼女を見下ろす位置にあったため、瞬く間に彼女が寝入っていく様子が見えた。彼女は最終地に着くまで眠り姫のようにコンコンと眠っていた。『小さな風呂敷を持っている。これから出稼ぎに行くのだろうか?』ひどく疲れた風の小さな身体をじっと見つめた。間もなくこちらもひどいバスの揺れにビニール袋を抱え込んだ。周囲に気づかれないように声を押し殺しながら身体の”慣れ”を待ったが、自律神経の働きには逆らえなかった。。すっかり胃が空になり安堵したところで眠気が襲ってきた。

 目を覚ましたのは早朝5時くらいだろうか?あれ程にぎやかだった中国人観光客たちも、すっかり寝静まっている。雨でしっとり濡れた窓からは山岳地帯の緑豊かな自然が広がっていた。朝靄の中、まるで水墨画のような幻想的な風景を撮ろうとタブレット端末を手に取ったものの、『あぁ、もったいない。この贅沢な瞬間を生でじっくり味わいたい』という思いが勝ち、ウトウト押し寄せてくる眠気と戦いながら感動の余韻を楽しんだ。そして長かったバス移動が終わり、最終目的地に着いた。

 道中、立ち寄った食堂では優しそうな美人女将が手料理を振る舞ってくれた。外国人が珍しいのか、いつの間にか彼女の子供たち(これまた美男美女ばかり!)に取り囲まれたので、お土産のドラえもんシールをあげたら大喜びされた(※現地人との交流は日本から持って行った菓子か文具類に限る)。観光客慣れしていない、はにかんだ笑顔が可愛らしい。事前に許可を得てから写真を撮らせてもらった(※メールアドレスがないということだったので彼らに写真を送ってあげることができなかったのが残念である)。

 山裾にある小さなホテルは立派な外観からは想像できなかったのだが、エアコンが使えなかった。夏の暑さにひどく弱いので、わざわざ値段の高い部屋を予約したのに。。。主人にクレームを入れたところ、意外な事実が告げられた。なんとラオスでは電気を中国などに輸出しているのだという。そのため暑い時期は電気の輸出量が増え、国内の電気が不足するという。領土問題だけでなく、”こういう弊害”もすっかり慣れているようで、主人は悪びれることもなく「待ってたら、そのうちエアコンつくよ」という。。。『そりゃそうだけど…』と、やり場のない気持ちを抑えて、水シャワーを何度も浴びた。

 自然散策が毎日の日課となった。小山があれば、とりあえず登った。頂上にはお寺や何かの遺跡があった。ガイドブックにも載っていないので、歴史的なところは分からないが、小坊主さんがたむろっている様子が微笑ましかった。中には袈裟姿にiPodを聞いている小坊主さんもいて驚愕した。民家を除き人工的な建物がほとんどないので日陰を見つけるだけでも一苦労する。酷暑の中、緑豊かな自然以外、とりたてて何もない辺境の地だが、心が解放されていくのを実感した。

 英語を話さない現地の人たちとも交流した。今となっては果たしてどうやってコミュニケーションをとったのか全く記憶にない。だが、言葉は通じなくても外国人が珍しいのか、中にはこちらに関心を持ってくれる人もいて、はにかみながらも笑顔で接してくれる。身振り手振りで「あなたは☓◎?に似ている!」と言ってくる人もいて、『誰?誰に似てるの、私?』と気にはなったものの、それ以上のコミュニケーションはできない。。会話は中途半端に終わってしまうのだが、決して”後味”は悪くない。外国人にも関わらず「受け入れてもらえた」という感動に酔いしれた。普段は愛想が悪いと説教されるような感じだが、現地では自然に”別人”になれたかもしれないと思う。

 いよいよ帰国の日が近づいていた。”帰り道の辛さ”も、それなりに覚悟はしていた(つもりだった)。バスのりばに着くと、たまたまその時期は外国人観光客が多かったらしく、欧米人の大きな荷物などで、乗ろうとしていたワゴン車はいっぱいだった。私はカバン一つの身軽な出で立ちだったせいか、どう見てもギュウギュウ詰めの車内に、運転手が「乗れ」という。目を点にしながら「明日の便にする」と断った(車内で窮屈なのは嫌だし、日程をずらしてものんびり帰りたかった)。だが遠慮する私に向かって、先に乗車していた欧米人たちが同情したのか少しずつスペースを作ってくれた。親切を断るわけにも行かず、しぶしぶ彼女たちの間に割り込んだ。膝を抱えた窮屈な姿勢で10時間以上、あの悪路を揺られることになる。。。本を読むわけにもいかず長い時間をどうしたものかと心配だったが、隣り合わせたフランス人の美少女と日本の話題で盛り上がり、帰りの道中は思いの外、短かった。観光都市・ルアンパバーンを経て首都・ビエンチャンに戻った。

 メコン川を見下ろすホテルのモーニングサービスで提供された鶏粥の美味しかったこと!周囲にはばかることなく、何度もおかわりした。ラオス北部を巡る”体当たり旅行”を終え、すっかり気が緩んだのかもしれない。ナイトマーケットで彩り豊かな伝統デザインの着物が破格の安値で売られていた。身体を締め付けない、ふんわり緩い綿生地が気に入ったので奮発して何枚も買った。だが、ホクホク気分も束の間、街灯のない夜道で迷ってウロウロしていたら、10匹近くの野犬?番犬?に追い掛け回され、久しぶりの恐怖を味わった…。

 ネオン街の路上では派手なメイクでたむろする10代前半くらいの少女たちが外国人男性に声をかけていた。どの時代にも、どの国にもある悲しい光景だ。。。何ともいたたまれない気持ちで路上を歩いていると、いきなり痩せた男の子が暗がりから走り寄って来た。あまりに突然のことで『ちびっこ強盗か』と、怯んでしまい、思わず走って逃げてしまった。

 『あーぁ、もしあの時、堂々と振る舞うことができたらなぁ。。。もし食事の一つでも男の子におごってあげていたらなぁ…』悲しいかな、ラオス旅行の記憶は”後悔の念”と結びついている。。

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※写真はラオス北部の観光スポット・ポンサリー県(Phongsaly Provice)。ラオス情報文化観光省の公式サイトより

 もし、これからラオスに行かれる方は、ルアンパバーンにある「ラオス不発弾処理プロジェクト・ビジターズセンター」を、お勧めします。ベトナム戦争の忘れてはならない記憶が蘇ります。

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