のんびり寄り道人生

何とかなるでしょ。のんびり生きましょう

赤塚不二夫生誕80年企画 バカ田大学講義録なのだ!

 自信がない時、不安な時、迷った時、バカボンパパの名言「これでいいのだ!」と、お経のように何度も呟くと、不思議と「そう、これでいいんだよ」と思えてくる。一度、考えすぎて深みにハマると頭の中で、いつまでもグルグルグルグル迷宮を彷徨う。。出口(解決口)を見つけられず無限ループにはまり込む。そんな時、あのハチャメチャなキャラクター(バカボンパパ)が、ふっと現れるのだ。そして何の根拠もなく、脈絡もなく、「これでいいのだ!」とバッサリ”強制終了”させてくれる。おかげで、どんなに深刻な問題を前にしても数日程、思い悩めば(たっぷりの食事と、たっぷりの睡眠も重要)ほぼ復活できる。問題そのものは解決しなくても、自分の中で「まぁ何とかなる」と、いったん問題を棚上げにできる。そのうち情勢が変わって時間が解決してくれることもあれば、そもそもそれが問題だと思わなくなることもある。そう、そもそも問題は存在していなかったのだ!

 アニメ「天才バカボン」を見ていた子供の頃には、「なぜタイトルと違って(子であるバカボンではなく)パパが主役級の”濃さ”なのか?」という謎が解けなかったが、大人になったら、バカボンパパの”常識破りの偉大さ”が身にしみて分かる。(※当初、バカのボンボンを主役に設定して連載をスタートさせた「天才バカボン」だったが、作者の赤塚不二夫が描いているうちにパパの”面白さ”に気づいてしまったらしい。主役の交代も「これでいいのだ!」)

 「赤塚不二夫生誕80年企画 バカ田大学講義録なのだ!」を読んだ。

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 この愛すべきキャラクターの生みの親である「赤塚不二夫スピリット」に満ちた講師陣たちが、各々の流儀で”名言”を披露していて、とても面白かった。「バカ田大学」がリアルに設立されたら、みうらじゅん氏には、ぜひ初代学長として就任していただき自らの銅像を設置していただきたい。彼のダジャレと出来過ぎたエピソードのオンパレードに抱腹絶倒した。

 以前、職場の上司、同僚たちと談笑する中で(誰がどんなキャラクターに似ているかという話題の時に)上司に向かって「バカボンのパパに似てますね」と言ったことがある。こちらとしては「くだらない常識を一蹴できるパワフルな達人」の意味だったが(実際に顔や話方も結構似ている)、その上司をただの「バカ」呼ばわりしたと思われたらしく、その場は凍りつき(誰一人笑う人もフォローする人もいなかった…)、上司は「僕、空気読めないからなぁ」と力なく笑った。『そ、そんなつもりで言ったんじゃないんですが…』と否定する時間も与えられず、雑談は次の話題に移った。。。「バカ」って、世間的にはそんなに悪いイメージなのか?その頃のみじめな自分をフォローしてくれる人物に、この本の中でようやく出会えた気がした。

赤塚不二夫生誕80年企画 バカ田大学講義録なのだ!」会田誠「僕のバカアート」より抜粋:

バカは自分の中にいてすごく困っている。困っているけど、愛している。そういうアンビバレントな自分の中のバカモノを愛しつつバカにするみたいな、そういう感じが僕にとって「創造的なバカ」なんです。

 

赤塚不二夫生誕80年企画 バカ田大学講義録なのだ!」赤塚りえ子「おわりに~『リッパなバカ』になるために」 父(赤塚不二夫)の遺した言葉より抜粋:

バカっていうのは自分がハダカになることなんだよ。世の中のいろんな常識を無視して純粋な自分だけのものの見方や生き方を押し通すことなんだよ。だからバカだからこそ語れる真実っていっぱいあるんだ。

ただバカっつったってホントのバカはダメなんだからな。知性とパイオニア精神にあふれたバカになんなきゃいけないの。リッパなバカになるのは大変なんだ。だからバカになる自信がなかったら、ごく普通のリコウな人でいたほうがいい

 ドイツの哲学者・フリードリヒ・ニーチェ(1844年~1900年)は人生訓として、「ツァラトゥストラかく語りき」の中で、こんな一節を残している。

飛ぶことを学んで、それをいつか実現したいと思う者は、まず、立つこと、歩くこと、走ること、よじのぼること、 踊ることを学ばねばならない。

最後の「踊ること」というのは、まさに「バカになること」であり、「バカになっている自分を愉しむこと」だと私は理解している。なかなか、その境地には行けないが。。。