のんびり寄り道人生

何とかなるでしょ。のんびり生きましょう

ドキュメンタリー映画監督・作家 森達也

 ドキュメンタリー映画監督・作家の森達也氏の活動に、ずっと注目してきた。彼は1998年にオウム真理教(現・Aleph)の荒木浩を主人公とするドキュメンタリー映画「A」を、2000年にその続編「A2」を、2010年には書籍「A3」を発表した。一群の作品は海外を含む様々な映画祭から正式招待される程、一定の評価はあったものの、残念ながら興行的には成功しなかったらしい。その後も東日本大震災による気持ちの落ち込み等があって、なかなか新作を発表できずにいたそうだ。

 そんな中、15年ぶりに監督を務めた最新作「FAKE」が注目を集めて久しい(今度は興行的にも成功を収めているようだ)。本作はゴーストライター騒動でバッシングを浴びた佐村河内守氏の素顔に迫ったものだ。

youtu.be

 映画評を読む限り、衝撃的な?ラストシーンや、告発者の神山典士氏、新垣隆氏の動向などを巡って、関係者だけでなく観客までも対立軸で語っているように見える。まぁ、そういう楽しみ方もあるだろうが、本作は(森氏らしい)エンターテイメント・フィクションと割り切った方が愉しめるのではないかと思う。森氏が「FAKE」というタイトル(タグ)にこだわったのも、映画の題材だけでなく、この映画そのものがノンフィクションの形をとったフィクション(ざっくり言えばFAKE)だという自己批判を込めたのかもしれない。

 いずれにせよ神でもない人間が、白黒つけがたい”灰色”の事実を、”灰色”のままに(ありのままに)見るという態度は、それほど簡単なことではない。未知のもの、分からない事象は人々を不安にさせるし、(一部の好奇心に溢れたパイオニアを除き)できれば、そこから目を逸らし、逃れたい、忘れたいと思うものだ。(失礼ながら)森氏自身はそれほど精神的にタフな人ではないと思うが、マスメディアや大衆とは異なる立ち位置から諸問題に向き合い続けている実直さには心惹かれる。

 森氏の動向を追っていると、テレビのバラエティ番組で怒っていたり(もちろんそれなりの理由はあるのだが)、対談相手にキレていたり、(周囲のとまどいそっちのけで)ふてくされていることがある。「王様は裸だ!」と叫んだ子供も、(権威ある王様を前に)慌てた周囲の大人に注意されて、膨れっ面で口をつぐんだのかもしれない。その後、観衆が口々に「王様は裸だ!」と叫ぶまでは。

 

森氏サイドの(お手本的な?)「FAKE」の観方①

岡村靖幸×松江哲明 : 森達也監督15年ぶりのドキュメンタリー映画 佐村河内守“主演”の『FAKE』を語り尽くす! 前編 | GINZA | CULTURE

 

 (プロレスとして楽しめる?)玄人好みのインタビュー

被写体を騙さなかったことなんてない―『FAKE』森達也監督&橋本佳子プロデューサーに聞く|「今日のインタビューは受けません。佐村河内さんを取材するなら」で始まった... - 骰子の眼 - webDICE

 

佐村河内氏の再検査結果を受けて、慌てて?厚労省が動いた。

d.hatena.ne.jp

障害の有無と障害認定基準に合致するかは別であるということに注意する必要がある。佐村河内氏の場合には、聴覚障害はあるが、再検査の結果、最も低い6級の基準には達していないと証明され、障害者手帳を返上した。

Dr.Tsuyoshi M.日本リハビリテーション医学会専門医の重要な指摘。

 

聴覚障害者による「FAKE」の観方③

牧原:私たちは障害手帳や聴力検査でdB(デジベル)を見ているから、その知識はあるよね。dBを見たらその人の聴力がたいだい想像できる。でも関わりのない人はその知識がないから、それ以外の文言を見て判断しちゃうのかもしれないね。実際には障害手帳があった方が補聴器への助成金が出て助かる部分がある。その一方で、国からの一定の基準があるが故に障害手帳をもらえず苦労している耳が聞こえない人もいる。基準というのは、本来はdBとか医学的な判断では決められないもので、本人の環境や聞こえ方によっても左右されてしまうのだけれどもね。その辺りは、関わりがない人には分からない。

佐村河内騒動描く森達也監督『FAKE』、無音の"音楽"映画『LISTEN リッスン』の聾監督はこう観た|「聴覚障害」という言葉って、聴者にとっては便利なものだけど、当事者にとっては実に曖昧な言葉なんです - 骰子の眼 - webDICE