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日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか

 フリージャーナリスト・布施祐仁氏と朝日新聞記者・三浦英之氏の共著『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』を読んだ。

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(以下、集英社ウェブサイトより)

●直感的に、「ありえない」と思った。
自衛隊にとっても重要な日報が半年も経たずに廃棄され、
防衛省に存在しないなんて、常識的に考えられない。
こんなに短期間で廃棄されてしまったら、
国民は自衛隊のPKO活動について何も検証できないではないか──。(布施祐仁)

●目の前に広がったのは宿営地の全景。
ポールに日の丸がはためき、自衛隊員が車に乗り込んだり、
会話をしながら道を歩いたりしているのが肉眼でもはっきりと見える。
ロケットランチャーを撃ち込まれれば、
間違いなく多数の死傷者が出ただろう──。(三浦英之)

 1956 年、イギリス・エジプトの共同統治下に置かれていたスーダン共和国は、両国から独立するにあたって、北部地域(イスラム教を信仰するアラブ系住民が多い)と分離・独立を求める南部地域(キリスト教伝統宗教を信仰するアフリカ系住民が多い)の住民間で内戦が勃発し、ついに2011年、南スーダン共和国(以下、南スーダン)は独立を果たした。だが、2013年12月、キール大統領派(政府軍)とマシャール前副大統領派(反政府軍)による石油利権をめぐる政争がきっかけとなり、再び南スーダン全土は内戦状態に突入した。

www.worldvision.jp

(以下、本書・第1章「請求」/布施氏執筆より)

 南スーダンへの自衛隊派遣が開始されたのは2011年11月、民主党野田佳彦政権の時であった。国連からの要請を受け、まずUNMISS(国連南スーダン派遣団)司令部に幕僚を派遣し、2012年1月からは三百数十人規模の陸上自衛隊施設部隊も派遣するようになった。

 当初は武力紛争の発生を前提としない「国造り支援」のPKO※としてスタートしたが、2013年12月に内戦が勃発すると、UNMISSは中心任務を「国造り支援」ではなく、武力紛争から一般市民を保護する「文民保護」に切り替えた。しかし、日本政府(第二次安倍政権)だけは「南スーダンで武力紛争が発生しているとは考えていない」と独自の見解を示して、「国造り支援」を名目とした自衛隊の派遣を続けたのだった。

(※引用者注:Peacekeeping Operations 国際連合平和維持活動

news.yahoo.co.jp

 2016年当時からキール大統領率いる南スーダン政府軍による数々の残虐行為については、ルワンダ虐殺に比すると報じられ、あちこちのメディアにセンセーショナルな見出しが踊った。

courrier.jp

www.huffingtonpost.jp

www.cnn.co.jp

 国会での野党質問に対して政府側は「南スーダンの一部の地域で紛争が起こっているという報告はある。だが、自衛隊が派遣されているジュバは安全であり、自衛隊の派遣は問題ない」と繰り返すばかり。本書を執筆した布施氏は、そんな政府答弁を鵜呑みにせず、ジュバの治安状況について正確に反映した現場報告があるはずだと”あたり”を付けて、書類探し(情報公開請求)を粘り強く行った。そしてついに政府答弁の矛盾を突き止める重要書類を見つけた。それが「日報」である。当初、幹部らは日報について「(上層部に日々の報告をした後は用済みなので)破棄した」と、野党の提出要求に対して突っぱねていたのだが、その後パソコンの共有フォルダにデータが残されていることが判明し、河野太郎議員(当時は自民党行革推進本部。現・外務大臣)による指示によって開示された。

 日報とは、南スーダンで現地の自衛隊が上層部に対して現況や日々の活動について報告するための書類である。とりわけ焦点となったのは、2016年7月初め頃の日報である。当初、国会答弁では安全だと強調されていたジュバにおいても、内戦(武力紛争)の影響が及んでいることを示す記述が、ついに見つかったのだ。

 日報のデータがあることが判明してからも当初から情報公開請求をしていた布施氏には連絡すらなく、再三の情報公開請求によってようやく、布施氏にも日報が開示されたのだという。『どうせ”のり弁”だろう(機密情報が塗りつぶされて、あちこちが真っ黒になった書類)』と覚悟していた日報には、意外にも「武力紛争」を上層部に報告する記述が残っていた(消し忘れの可能性もあるという)。これを契機に政府側のこれまでの説明は一挙に揺らぎ、野党の追求はさらに強まった。また身内の与党からも迫りつつある選挙への悪影響を懸念する声が高まり、ついに稲田朋美・元防衛相ら関係幹部が引責辞任するに至った。

 実にドラマティックな展開だ。大手新聞社など組織に縛られない、フリーのジャーナリストとして、疑惑の追求をやめなかった布施氏のジャーナリスト魂はもちろんのこと、恐らく防衛省自衛隊など政府内部からの”援護射撃(意図的な情報流出など)”もあったのだろうと推測している。(以下、国際政治学者・六辻彰二氏の寄稿文より)

イラクでも南スーダンでも、自衛隊の派遣に熱心だったのは国際的な評価や米国との関係に気を配ってきた官邸や外務省で、自衛隊を所管する防衛省は必ずしも積極的ではありませんでした。

news.yahoo.co.jp

 私は、南スーダンの現場からリアルタイムに情報発信していた三浦氏の生々しいツイートを日々追っていたため、南スーダンの問題について、ある程度分かっているつもりでいた。だが、本書を読み終えて愕然とした。これまでの報道では拾いきれなかった事実や、事実間の関連性が具体的に浮かび上がってきた。”炎上”からある程度の時間を経て、専門的な識者によって、きちんと整理された”客観的な情報”の有用性を改めて実感した。

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 なお、共著という形で本書を発刊するに至った経緯が、とても興味深い。「はじめに」と「おわりに」に、それぞれの立場から率直に語られている。

(以下、布施氏による「はじめに」より)

 三浦記者とは直接会ったことはなかったが、インターネットのツイッターを通して知り合い、親近感を抱いていた。南スーダンPKOという共通のテーマを追いかけていたからというのもあるが、それだけではなかった。現場で取材した事実のみを「客観報道」として伝えるだけでなく、そこで感じたことや自分の意見をツイッター上でストレートに表明する姿勢に好感を持っていたからである。

 さらに、三浦記者は、日報問題を追求する私の日本での活動に遥かアフリカから「エール」のツイートを送ってくれていた。

<ジュバにおける戦闘状況を記した自衛隊日報を情報公開請求し、結果的にその「隠された情報」を開示させたジャーナリスト布施祐仁氏の活動に敬意を表します。政府が隠そうとする不都合な事実を市民に伝えるという一点で、我々はもっと連帯できるのではないかと思う時があります>(三浦記者、2017年2月8日のツイート)

 もともと内戦状態の南スーダンにたびたび入ってリスクを負いながら取材していた三浦記者には敬意を抱いていたので、このエールはなおさら嬉しかった。ツイートに綴られた「我々はもっと連帯できるのではないか」という言葉に、心が熱くなった。マスコミの記者から、このような言葉をかけられたのは初めてだった。

 本を書くことについては、三浦記者からDM(ダイレクトメッセージ)をもらう前から、事件の「当事者」として日報問題の一連の経緯をまとめ、自分なりの検証をしておきたいという思いは持っていた。ただ、南スーダンの現場を一度も取材せずに南スーダンPKOについて論じることに、ジャーナリストとして躊躇もあった。現地に取材に行くことも考えたが、日本での仕事や個人的な事情から、しばらく実現の見込みはなかった。

 だから、三浦記者からの提案は、私にとって願ってもないものであった。日本人記者では恐らく南スーダンの現場を最も取材している三浦記者との共著であれば、日本で起こったことだけでなく、南スーダンの現実もしっかりと踏まえた厚みのある日報問題の検証ができるに違いない。

(以下、三浦氏による「おわりに」より)

 ジャーナリズムの世界には「大きな仕事」と呼ばれる足跡が存在している。

 自衛隊が海外派遣されていた南スーダンで大規模な戦闘が発生した直後、現地で何が起きていたのかを確かめようと防衛省に情報公開請求し、その開示過程において現地からの報告が意図的に隠蔽された疑いがあることを執拗に追求することで、最終的に国防部門のトップである防衛大臣を辞任に追い込んだ布施祐仁氏の一連の仕事は、日本のジャーナリズム界にとって紛れもなく「大きな仕事」であり、事実を意図的にねじ曲げて国民に伝えることで自らの目的を達成しようとした日本政府の「作為」を白日の下に晒したことは、選挙によってこの国のあり方を選択していかなければならない私たちにとっても、極めて有益な果実であった。

 とりわけ、私にとって衝撃的だったのはこれらの仕事が巨大なメディアに所属している企業記者ではなく、たった一人の在野のジャーナリストの手によって達成されたという事実だった。日本では現在、数万人の記者がメディア企業で働いている。しかし我々はーーーといった主語がここではふさわしいように思うーーー、目の前にたちはだかる堅牢な壁に穴を開けることもそれを乗り越えて事実をつかみ取ってくることもできず、最終的には一人のジャーナリストの努力によって得られた成果をそれぞれが分配し合って報じるという、敗北感にも似た屈辱を味わうことになった。

 ある意味、ライバル同士の二人が互いの仕事に対して心から敬意を抱いていた結果、本書が生まれたようだ。不思議と”ヨイショ感”が漂わないのは、本音で発された言葉だからだろう。もはや”同志”とも呼べる二人の”友情”が再びいい形で実を結んで欲しい。

 

【参考:平成30年8月7日南スーダンにおける暫定政府の体制に係る未解決問題に関する合意について(外務報道官談話)より】

1 我が国は,8月5日(現地時間),スーダン共和国ハルツームにおいて,南スーダン共和国の関係者が,同国の平和促進に向けて,新たな暫定政府の体制に係る未解決問題に関して合意したことを歓迎します。南スーダン情勢の改善のためにスーダン及びその他政府間開発機構(IGAD)諸国・事務局が行ってきた努力に対して敬意を表します。

2 関係者が引き続き,合意の包摂性及び持続性の確保のために建設的に協力し,恒久的停戦,治安部門改革,新たな暫定政府の発足や運営等につき,強い政治的意思をもって着実,誠実かつ平和裡に履行すること,それによって,南スーダンに永続的な平和と安定がもたらされることを我が国は強く期待します。

3 我が国は,国際社会と協調して,南スーダンの平和と安定に向けた努力を引き続き支援していく考えです。

[参考]
 南スーダン共和国では,首都ジュバは2016年7月の衝突以降比較的平穏であるものの,地方の一部において衝突や殺傷事案が継続。これを受け,東アフリカの地域機関であるIGAD(議長国:エチオピア)は,履行が停滞気味であった2015年の「南スーダンにおける衝突の解決に関する合意(衝突解決合意)」を再活性化するため,2017年6月,南スーダン関係者を集めて「ハイレベル再活性化フォーラム」のプロセスを開始。
 同プロセスでは,2017年12月の第1回会合で敵対行為停止等が合意された後,2018年2月と5月にもエチオピア連邦民主共和国アディスアベバで会合が開催された。さらに,6月からは,スーダン及びウガンダ両国政府の仲介の下,スーダン共和国ハルツームウガンダ共和国エンテベ及びカンパラに場所を移し,キール大統領,南アフリカで軟禁されていたマシャール前第一副大統領の参加も得た上で,引き続き協議が行われていた。これら協議を通じ,6月27日に恒久的停戦を含む「ハルツーム宣言」に関する合意,7月7日に治安取決めに関する合意,8月5日に暫定政府の体制に関する合意が達成された。今後も引き続き,細部の調整や他の分野に関する協議が行われる見込み。

 結局、スーダン及びウガンダ両国政府の仲介の下、停戦の合意が達成されたようだ。本合意がどこまで実効性のあるものかは不明だが、外務省を始めとする日本政府が「本当に」国際社会と協調しているのか?、南スーダンの平和と安定に向けて「どんな努力」を行うのか?、じっくり注視していきたい。