のんびり寄り道人生

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真ん中の子どもたち

 温又柔(おん・ゆうじゅう)著・『真ん中の子どもたち』を読んだ。

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内容紹介(以下、アマゾンより引用)
第157回芥川龍之介賞候補作

“四歳の私は、世界には二つのことばがあると思っていた。
ひとつは、おうちの中だけで喋ることば。
もうひとつが、おうちの外でも通じることば。"

台湾人の母と日本人の父の間に生まれ、幼いころから日本で育った琴子は、高校を卒業して、中国語(普通語)を勉強するため留学を決意する。そして上海の語学学校で、同じく台湾×日本のハーフである嘉玲、両親ともに中国人で日本で生まれ育った舜哉と出会う。
母語」とはなにか、「国境」とはなにか、三人はそれぞれ悩みながら友情を深めていくが――。
日本、台湾、中国、複数の国の間で、自らのことばを模索する若者たちの姿を鮮やかに描き出す青春小説。

『真ん中の子どもたち』温又柔|刊行記念特別寄稿|集英社 WEB文芸 RENZABURO レンザブロー

 本作を知ったのは、第157回芥川賞候補作となった際、選考委員を務めた宮本輝氏の選評が炎上していたからだ。

これは、当事者たちには深刻なアイデンティティーと向き合うテーマかもしれないが、日本人の読み手にとっては対岸の火事であって、同調しにくい。なるほど、そういう問題も起こるのであろうという程度で、他人事を延々と読まされて退屈だった(「文藝春秋」2017年9月号より宮本氏のコメント)

 何とも”率直な感想”である。宮本氏の日頃”ガイジン”に向き合う姿勢が垣間見える気がする。宮本氏ほどの著名人になると、立場上、無名の著作にも”付き合わざるをえない”のだろう。また、その豊富な知識や教養によって新しい発見や感動なども、もはやまれなのかもしれない。失礼ながら、そのような”麻痺した感性”なら、先の”率直な感想”にも合点がいく。それにしても世界のグローバル化が進み、移民問題も現実化している中、このように”他人事”と切り捨てていること自体、軽く驚きであった。

 長らく日本に定住している”ガイジン”の一人として「言語とアイデンティティ」という本作のテーマは大変興味深かった。家族と話す時、家族以外と話す時、私はそれぞれの言語を使い分けながら、小さな同時通訳者として大人たちのコミュニケーションを橋渡していた。やがて成長するにつれ学校で学ぶ機会を与えてもらった自分と、その機会を与えられなかった親との間で”教育格差”は、どんどん広がった。思春期に差し掛かる頃には衝突が絶えなかった。日本語と母国語で応酬し合う親子喧嘩は、まるで異国間の文化摩擦であった。親からすると、私は”すっかり日本人になった”そうで、ずいぶんと母国語で罵られたものだ。あの頃の苦い思い出の数々は、子供が成長する上で誰もが経験する親子の対立軸に加え、本質的には言語問題であったと思う。お互い、それぞれの言語はある程度分かったが、微妙なニュアンスや文化の違いが分からない。すれ違ったまま、”分かっている”つもりになっていた。そんな冷静になって考えれば当然の過ちに気づいたのは、恥ずかしながらここ最近のことである。本書を読みながら、自分にとって日本がまだ”異国”であった時の思い出がいくつか浮かんでは消えて行った。ただし、登場する若者たちの親の年齢に差し掛かった今、残念ながら等身大の共感は得られなかった。中途半端なアイデンティティに後ろめたさを感じていた若かりし頃であれば、著者のメッセージをもっと素直に受け取ることができたかもしれない。

 著者は”あいのこ(ハーフ)”として日本語、台湾語空間の中で育った(ちなみに日本統治時代の名残なのか台湾語でも”あいのこ”と発音するという)。その瑞々しい感性で紡ぎ出された言葉は新鮮で、キラキラ輝いて希望に満ちている※。(未来ある甥っ子、姪っ子たちへのプレゼントとして本書はなかなか良さそうだ)。また中国と台湾という歴史的に引き裂かれた、複雑な国家のあり方について市民目線の現実が語られており、両者の違いを知る上で、とても参考になった。上から目線で恐縮だが、著者には引き続き、このテーマを深掘りしてもらいたい。

※詳細は割愛するが、宮本氏との一連の騒動の中、ツイッター上では著者の本音(反論)が炸裂している。さすがは大陸人。その気質がまた面白い。

 私事だが、時々、雑談の中、生まれ故郷を尋ねられる。日本国内を前提とした、それらの何気ない質問に「実は、わたし日本語がうまい”ガイジン”なんですよ」と前置きすると、決まって相手は驚く(その顔を見るのが密かに楽しい)。そもそも国籍、性別など、各種の”線引き”は利便性がある範囲でやればいい(やり始めたら、キリがない)と割り切っているものの、なぜかいつもそれらの類の質問をやり過ごすことなく、生真面目に答えてしまう(自分は詳細に語っても、相手はそれほど詳細に自らを語ってくれないのでモヤモヤだけが残るのだが…)。”まだ私はアイデンティティにこだわっているのか?”と我ながら驚く。

 現在、台風21号が日本列島を直撃している。いよいよ、本日20時以降、衆院戦の開票が始まる。安倍晋三首相率いる自民党公明党サポーターの熱狂ぶりを見ていると、「いつかこの国から”ガイジン”は追い出されるかもしれない…」と、かすかな不安がよぎる。極右・極左の思想集団はどこにもいるし、これからもなくなることはないだろうが、日本のような”群れ”の慣性が強いところでは、サイレントマジョリティがどう動くのかで情勢が決まる。選挙権がない自分は、ただ彼らの”理性”と”行動”を信頼して待つほかない。(幼き頃に出来上がった食の好み以外)すっかり日本人になってしまった”ガイジン”にも異国の地にて”愛国心”らしきものが芽生えている。

  以下、『真ん中の子どもたち』 より一部抜粋

ー根っこばかり凝視して、幹や枝や葉っぱのすばらしさを見逃すなんてもったいない

上海を経たあとに台湾と出会ったからこそ私は、自分の根っこはまっすぐのみではなく、あらゆる方向にむかってふくよかに伸ばせるものだと知ったのだ。

ー根なし草? はは。どこにでも根がおろせるんだよ。