のんびり寄り道人生

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「他人」の壁

 敬愛する養老孟司先生と、精神科医名越康文氏の対談集「『他人』の壁」を読んだ。

SBクリエイティブ:「他人」の壁

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(本書より一部引用 ※以降同じ)

養老:僕なんかも本当は、ものごとの理解が遅い人間なんですよ。すごく遅い。わからないからずっと考えている。他人がぽろっと言ったことを、「あれ、どういう意味だろう」なんて1年くらい考えたりしますからね。今でもそうです。

名越:いやいや、僕だってそうですよ。それこそ、養老先生とお会いした後なんかはいつもそうです。先生は”養老節”でバサッとひとことでお切りになるんで、後で「こういう意味だったのかな」なんて考えているうちに、半年とか1年くらい経つことがありますからね。ただ、先生がそれを言っても、皆さん信じますかね。前に九州の講演でご一緒したときに、タクシーの中でお聞きした話は本気でびっくりしましたから。僕がたしか、「やっぱり、お年を重ねるといいこともあるんでしょうかね」と聞いたら、「若い頃は本を読むと、頭の中にどんどん情報が入ってきて理解が追いつかなかった」とお答えになったんですよ、覚えていますか。「えっ、それどういう意味ですか」と聞き返したら、「目からどんどん文字が入ってくるんだよ。入ってくるから先に行くけども、理解が追いつかないんだ」って。だから、極端に言うと5ページくらい先を読んで、5ページぐらい後のやつを頭の中で咀嚼しているんだって。あれ聞いて、これはもう絶対この人にはかなわないと思いましたから(笑)

養老:人間の脳は無意識に先も読んでいるんです。右ページを読んでいても、無意識に開いた本の全体を見て、先を読むために脳が準備している。この頃は年をとって、目も悪くなって、読むスピードと理解するスピードがシンクロしてきた。前よりも心穏やかに読めるようになったから、読書に関しては調子がよくなってきたかもしれませんね。というか、それは情報を脳に入れるスピードという意味で言ったんでね。

名越:まあ、もちろんわかりますけどね。違和感や好奇心を持ち続けながら、それが何であるかを考え続けることと、シンプルに脳に情報を伝えることとは違うわけですけど。

養老:そうするとね、最近よく言われるのは、「お若いですね」って。つまり、若い人ってみんな、違和感を抱えているでしょう。当然なんですよ、この世界に新しく参入してくるんだからさ。若い人の頭の中が違和感だらけで当然なんです。

名越:だから、違和感はやがて開花する宝物みたいなものだし、若い人が違和感を抱えて悶々とした日々を送るのは、とてもいいことなんだということですよね。ストレスかもしれないけど、少なくともそういう自分を「変だ」と思うことはない。

養老:むしろ、わからないまま生きていくっていうのが希望なんですよ。そうでしょう。究極は自分を完成する形の生き方をすればいいんだから。価値観を他人なんかに置かないで、「俺がどう生きたらいいか」を考えてさ。一生をかけて、人生という作品をつくっていけばいいんです。せっかく寿命もらっているんだから、誰に気がねすることもなく、思う存分に生きてみようと思えばいいんでね。

 まるで気心の知れた師弟対話を思わせるような二人のトークは様々なトピックに触れながらも、”深み”を持って広がっていく。両人の自由な発想と深い洞察が混じり合い、予期せぬ接点で心地よい調和が生まれる。まるで”連歌”を見ているようだ。まさに本書の帯に書かれた「唯脳論×仏教心理学が教える『理解』の本質に気づくヒント」が詰まった良書だ。

 余談だが、名越氏のことは内田樹氏との対談本(名著!)「14歳の子を持つ親たちへ」で初めて知ったのだが、養老先生、内田氏に続く”自分と感性が合う大人が、また一人見つかった!”と、当時は随分感激したものだ。

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 先程の対話は、さらに続く。

名越:世の中のこと全部わかったら、極論したら死んだらいいんですからね。もうなんのおもしろみも残されていないんだから。前にロマネコンティを一度だけ口にしたことがあるんですけど、どう言ったらいいのかな、いまいちピンポイントで表現できないわけです。追い切れない味というんですかね。ただ単に「おいしい」というより、表現できない感覚を求めて、どっか楽しんでいる自分がいるわけですよ。だって、単純に「おいしい」を求めるなら、腹ぺこなときに卵かけご飯でも食べたら、絶対にこの世で一番うまいんだから。そうじゃなくて、理解できないような感覚を追求してみるというのが、最後に残された知的欲求の1つの枠なんじゃないかと思うんですよ。

養老:だから、脳が楽をしないためには、自分で考える癖をつけるしかないっていつも僕は言っているんです。子どもの頃から虫を見続けてきたけど、昔は今みたいな便利な雑誌とかネット情報とかもなかったから、難しい本を借りてきて懸命に読んでみたりさ。足りないところは妄想とか想像で埋めたりしてね、それでも足りなきゃ触ってみたりさ。要するに好奇心でしょう。「知りたい」という気持ちです。ワインでも虫でもいいから、おもしろいと思えるかどうか。それがさっきから言っている違和感でしょう。

名越:わからないものを「わからないままで生きていけばいいや」って、そこに失望があるんですよね。それも経験したことがあります。スキーの上手な人と山へ行って、あまりに差を感じると、やっぱり心の中に小さな絶望が生じますよ。「それでいいや」となれるのは、そこに関して自分の情熱がないんですよ。でも、情熱を持っている分野(※引用者注)で諦めるのなら、やっぱり僕の場合は、10年ぐらいはやってから諦めたらいいと思うわけで、その最中は届かないものに対して、ああだこうだと追求してみる。その間というのは、けっこう楽しかったりしますからね。

 ※名越氏が今「情熱を持っている分野」は、これかな?