のんびり寄り道人生

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言いたいことが一度で伝わる論理的日本語

 明治大学教授・齋藤孝著『言いたいことが一度で伝わる論理的日本語』を読んだ。

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(以下、内容紹介文。海竜社のホームページより一部抜粋

自分の考えが相手に誤解されることなく、真意を十分に伝えられる能力は、人間関係や仕事をスムーズに運ぶうえでとても大切です。話がごちゃごちゃしたり、結論が不明確になってしまったりする原因のひとつは、日本語の構造にありました。そこで、日本語の特徴――言葉を省略する、述語が最後にくるなど――をあげながら、それらを論理的日本語に変えて要点をスムーズに伝えるコツのほか、便利な言い回しなどを盛りだくさんにご紹介します。さらに、私たちに馴染み深い漢字や、やさしい英語や数学をヒントに、すぐに応用できる実践ポイントも提案します。

 マイペースでやれるので文章を書くのは得意だが、相手とテンポを合わせながら話すのは苦手だ。(自分に限ったことではないと思うが)誰かと話していると、常にと言っていい程、相手の理解に誤解があるようだし、自分も相手の伝えたいことをズレて理解している気がしてならない。時に、会話の相手から怪訝な顔をされたり、はっきりと”ズレ”を訂正されることがある。そういう時は、若い頃程ではないものの、ポキッと心が折れるのが分かる。(しばらくは引きずるが、そのうち忘れる。関係者からは呆れられるものの、忘れっぽさが”救い”だ!)

 それにしてもコミュニケーションの達人たちは本当に凄い。齋藤先生もそんな達人の一人だ。他人の表情を読み取りながら相手が理解しやすい仕方で話し方を変えたり、ジョークを交えて場を和ませたり、ダラダラ話をする人の話でもポイントを的確につかんで要約してあげたり、相手の話の腰を折らないだけでなく、むしろ話し手がどんどんノッてくるような絶妙な相槌(返し)を打つ。もちろん、彼らもいつも”完璧”ではないだろうが、コミュニケーションという広い海を自由自在に泳ぎ回っている、しなやかで美しい動きに、中途半端な”カナヅチ”としては、うっとり魅入ってしまう。

 昔は無理して(自分のリズムに合わないテンポで)”模範的なコミュニケーション”を演じたこともあったが、あまりに疲れるので、やめてしまった。今は多少無礼かな?と思いつつも、基本的には”自分に正直な反応”をしている。『あ、こういう(失礼な、あるいは正直な)人なんだ』と相手が機械的に(ドライに)学習してくれたら、しめたものである。次からは自分にとって(たぶん相手にとっても、こちらの扱いが)楽になる。その場限りの関係性なら、マニュアルどおりのマナーでよいだろうが、長く良い関係性を維持したいのであれば、基本的には”ありのまま”で向き合うのが一番だと思う。”親しき中にも礼儀あり”は言わずもがなであるが、『誰にどう思われようと、どうってことはない』という事実に気づいてしまった。

 とは言うものの、やはり大人として最低限の常識は身に付けておかねばならない。何度か”場にそぐわない”失言が続いた自分に喝を入れようと選書していたところ、本書が目にとまった。これまで齋藤先生の著書は名著『読書力』ほか何冊も読んできた。(万人向けに分かりやすく)軽めに付けられたタイトル以上に、内容(齋藤メソッド)がギッシリ詰まった良書が多い。社会への啓蒙書がベストセラーになっているだけでなく、本業では教員を目指す大学生たちを直接指導されている。”読み”、”書き”、”そろばん”に加え、”コミュニケーション”の大切さを繰り返し、重要なところは分かりやすく強調して説かれている。齋藤先生の活動は、まさに現代の寺子屋だ。

 本書で提唱していることは「中学生のときに習った初歩的な英語の構文」や「数学の証明問題などの考え方」などを応用して、あいまいな日本語を「論理的に」使いこなそう!ということに尽きる。これには実感を持って納得できる。昔、英語の成績が上がってから間もなく国語の成績が上がった経験があり、また数学の証明問題も得意だったからかもしれない。

  良いコミュニケーションにおいて相手に”配慮”することは基本である。ただ、どういう場面で、どんな風に配慮すればいいのか?それは人それぞれで違うと思うし、これが正解というのはないのだろう。日々のコミュニケーションの中で各自が研鑽していくほかない。自分の常識ばかり押しつけず、かと言って慇懃無礼に終始せず、相手との距離感を見計らいながらも心地良いキャッチボールを、「お互いが」楽しめれば理想的だ。

 本書には、コミュ力の高い人にとっては当たり前のことばかり書かれていると思うが、自らの日本語”行使力”を見直す・再確認するには、持って来いの”チェックリスト”だと思う。<はじめに>や<目次>を読んだだけでも要点が分かるので(分かったつもりになれるので)、今回はかなり飛ばし読みをしてしまったが、きっとまたいつか齋藤先生の著書を手に取る日が来るだろう。(もう失言は懲り懲りだが、またいつかやらかすんだろうな…)