のんびり寄り道人生

何とかなるでしょ。のんびり生きましょう

マイペースで生きましょう

 休日の朝、温かい布団の中でまどろんでいると、インターホンが鳴った。『あ、灯油の配達か』と思い出し、起き上がった瞬間、天井や壁がグルグル回った。同時に吐き気が襲ってきた。目を瞑ったまま再び布団に横たわったところ、数十秒後ようやく天井や壁の回転がとまった(訳が分からなかったが、遊園地の激しいアトラクションのようで、ちょっと面白かった)。二度目のインターホンに催促され、無理して身体を起こし、ふらふらと戸口に向かった。

 その後も起床時に天井の回転や乗り物酔いした時の気持ち悪さが続くので、インターネットで調べてみると、どうやら良性突発性頭位めまい症というらしい。身体のバランスを保つ役目である耳の三半規管(さんはんきかん)に耳石が入り込んでしまったようだ。

 同じ症状の患者さんが書いたブログを参考に、ざっくり全体像を理解してから、医師向けに書かれたガイドラインを読んでみた。難聴、耳鳴り、手足のしびれなど神経症状を伴わないので、さほど心配する必要はなさそうだが、良性突発性頭位めまい症は再発率が高いらしく、また一つ、付き合っていかなければならない病気が増えてしまった…。

 現在、関節症を患っている脚をかばっているせいで片脚に負担がかかっている上、片方にしか寝返りが打てないため、身体の動きに”相当な偏り”が生じている。それらがめまいの一因になっているのかもしれないが、「背に腹は代えられない」。とりあえずエプリー法(浮遊耳石置換法=Epley maneuver)という対処療法をやってみたが、特に効果は感じられなかった。病院にかかるのはもう少し後でもよさそうなので、継続的にできる別の方法を模索することにした。

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 若い頃は年に一度風邪をひくかどうかという程、病気とは無縁であった。だが、こうして歳を重ね、いくつか病気を抱えることになって、(身体がセーフモードを強いるので)何事もスローでやっていると、これまで見過ごしていた”弱者に配慮した”社会の在り方にようやく目が留まるようになってきた。バリアフリー対応の施設で階段に併設されたスロープを見てホッと胸をなでおろし、ノンステップバスのありがたみをしみじみと感じている。何より人の優しさに今まで以上に敏感になってきたし、自分もまた優しい言動を心掛けるようになった。友人たちから”毒舌”、”カッター”と揶揄されていた自分がそう簡単に変わるとも思えないが、もう少し”丸く”なろうと思う。目標は、のび太君のおばあちゃん!人を(出来、不出来などの価値観にとらわれず)あるがままに受け入れられることは本当に凄いことだと思う。

 そう言えば若い頃は健康だったからこそ余計に頭も空回っていたなぁ…(遠い目)。常に「深く考える」前に行動していて、『口ばかりで動かない人間にだけはなるまい』と粋がっていた。だが浅い考えのまま暴走すると、結果(失敗)を収拾するため、結局もう一度振り出しに戻って考えることになる。たぶん自分では考えているつもりであっても「突き詰めて」考えていない、あるいは経験不足により考えの詰め方が甘かったのだろう。行動と思考の無限ループに振り回されながらも、何だかんだ興味の赴くまま、のびのび自由に生きてきた(逃げて来たとも言えるかな?)。ま、親にとっては投資した”持ち株”が暴落したのだから申し訳ない限りだが、人生の折り返し地点を過ぎた今、何だかんだ”恵まれた”人生には心から感謝している。これから一つ、二つ病が増えたとしても何も悲観することはない。生まれたばかりの赤子でも、死にゆく老人でも、人が死に向かっていることは誰にでも等しく平等に訪れる事実なのだから。

 加齢によって頭が省エネモードに切り替わり、考えてから行動するようになって久しい。数々の経験を元に、先を見通せるようになったことや、また解決策にしても複数の選択肢をあげられるようになったことが大きい。その結果、無駄な行動が減り、運動不足も加速されたが、精神的に落ち着き、心が平安でいられることは歳をとったことの素晴らしいメリットだと思っている(もちろん若くして精神的に落ち着いている人もいるが、私のようなタイプにとって加齢というブレーキはさほど悪いことではないということだ)。若い頃の自分が奮闘してきたこと全てが無駄だったとは思わない。人生の経験値を高めるために必要だった(単調だが重要な)”データ収集”期間だったと思っている。だが、いつも考え過ぎて疲れきっていたあの頃にはもう戻れないし、たとえ戻れる技術が開発されたとしても絶対戻りたくはない。

 世間では”アンチエイジング(抗老化、抗加齢)”が基本らしいが、自分に似た若者を見かけると『歳をとるといいことも多いよ。マイペースでおいで~』と老婆心で伝えたくなる。だが、機を誤ると”余計なおせっかい”だと、ウザがられるだろうから、なかなかタイミングをつかめないでいる。若い頃の自分には新約聖書イエス・キリストの言葉がなぜか響いたものだ。

求めよさらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん(マタイの福音書7章7節)

 

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