のんびり寄り道人生

何とかなるでしょ。のんびり生きましょう

占い考

 待ちに待っていた年末年始!各種イベントには全く興味がないが、この寒い時期に堂々と冬ごもりができるのはありがたい。脚がままならないこともあって自宅に引きこもって、新賀の挨拶の返信を済ませてから、のんびり過ごしている。ふと思い立って、ラオスのホテルで食べて美味しかった鶏粥を再現しようと、ストーブにかけた鍋の中で鶏ガラ、ササミ、薬味をコトコト煮込み始めた。

 鶏スープの旨みが濃縮される間、パソコンに向かう。長らく愛読している石井ゆかりさんの星占いサイトに目を通し、一年の心構えを瞑想する。

 ところで、親しい人でさえ「無料占いを愉しむ」と言うと、日頃の合理主義者イメージ(=占いを馬鹿にしそうなイメージ)がひっくり返るようで、少し戸惑った顔をされる(中には「占いなんか信じてるんだ…」と露骨にドン引きされることもある)。こちらとしては日めくりカレンダーに添えられた言葉であれ、居酒屋のおやじが書いた壁掛けメッセージであれ、”自分の感性に合う言葉”なら喜んで受け入れるというスタンスなので、何とも過剰反応だと思うのだが、、、。

 たぶん日本での占いに対するネガティブなイメージは、一時期世間を賑わせた悪名高き占い師たちの言動によるものが大きいのだろう。占いを趣味(日課)だと表明することは、表立っては憚れる風潮があるようだ。残念なことに、占いの奥深さや効用は一顧だにされず(もちろん占いも玉石混交ある)、「占いを信じる」=「占い師に洗脳される、占いなら何でも信じる、未来を占う言葉を鵜呑みにする」など漠然としたイメージが先行し、現代の科学で証明できない胡散臭いものとして軽んじられている気がしてならない。もちろん占い(占星術、占星学)の歴史において様々な功罪はあるのだろうが、少なくとも古代から連綿と続いてきた人間の営み、一つの世界観を、非科学的という理由で軽々しく否定する気に私はなれない。

 人間は弱い。世間で”勝ち組”とされている人たちも辛い時、不安な時程、支えとなる指針(言葉)を求めて、こっそり占い師の元を訪れるという。遠く離れた神の言葉(宗教)でもなく、身近な人たちの言葉(助言)でもない、自分とは全く利害関係がない第三者から自分に向けて発せられた言葉。そんな距離感だからこそ響く言葉というのがある(ちなみに占い結果はコンピュータによるランダム表示や使いまわしもあるようだ。だが受け手がどう感じるか?という点こそが重要なのではないかと思う)。

 読書とは、著者という第三者を通じて自分の感性に合う言葉を探し求める営みだ。私にとっての占いは、そんな読書のジャンルの一つに他ならない。

 

星占い等テキストコンテンツサイト 筋トレ

 

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