のんびり寄り道人生

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女の演技

 女優イングリッド・バーグマンドキュメンタリー映画を観た。

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 これまで彼女の主演作品は、アルフレッド・ヒッチコックの「汚名」と「白い恐怖」、アーネスト・ヘミングウェイの長編小説「誰が為に鐘は鳴る」、「ジャンヌ・ダーク」、「追想」、そして主演級の脇役である「オリエント急行殺人事件」くらいしか観た記憶がない(それも、たまたま深夜のTVで放映されていたものだ)。それでも、こうして彼女のことを、また”追っかけ”ているのは、映画の中の彼女の美しさの虜になっている証しだろう。

 私が中学生、高校生の頃はハリウッド映画が全盛期であり、映画の主役は決まって男優であった。彼らに華を添える女優と言えば、真赤な口紅の厚化粧と、露出が過ぎる衣装で男たちを惑わしていた。お決まりのパターンとして、”餌”が欲しい時には、甘い言葉をささやきながら、しなやかにスリ寄って行く。そして見事に男たちは女に魅惑され、女の仕掛けた罠に(喜んで)落ちていく。(そんな典型的な”役”しか、当時の女優たちには与えられていなかったのかもしれない)。ハリウッドのセレブだけでなく、まるで社会風潮のように一般女性たちも競うようにセックスアピールを始めた時代だった。ルパン三世に出てくる峰不二子は、そんな魅了する女の典型で、確かにカッコいいキャラクターだが、現実に”峰不二子”女子がもてはやされ、飲み会のような場で冷やかしがてら、自分にも”そのような要素”を求められた時には(多感な青春期にあって)不快のあまり発狂しそうになっていた。 

 そんな時、若かりし頃のイングリッド・バーグマンに出会った。彼女の存在は、とても新鮮だった。白黒映画の”効果”もあって、端正な顔立ちと、凜とした立ち姿が美しかった。役柄のせいかもしれないが、気立ての良さ、誠実さ、上品な雰囲気に包まれていた。時折見せるチャーミングな表情(笑顔、恥じらい、とまどいなど)は、とても自然で親しみやすく、彼女が外国人であること、それが演技であることを忘れさせてくれた。おかげで現実と離れた虚構世界に、すんなり入り込むことができた。(古い話だが、浅野温子が演じていたオーバーアクションが売りの演技はとても見ていられなかった。演技がどうこうという以前に、映画に集中できなかった)。

 ちなみに彼女の容姿について「背が高すぎる」「鼻が大きすぎる」などの酷評もある。確かに、例えば同時代の美女として並び称されるモナコ公妃のグレース・ケリーと比べると、グレース・ケリーの方が顔立ちは整っている。ただ彼女はモデルなど写真(静画)向きだと思うが、女優は顔の美しさだけではなれないし、若い頃の美貌だけで長く続けられるような職業でもない(さらに人柄などの人間性や、所属する事務所のコネなど様々な条件にも恵まれている必要があるらしい)。

 この映画はイングリッド・バーグマンの生誕100周年を記念して作られた。自由奔放さと誠実さが同居する彼女の不思議な魅力は、4人の子供たち(もちろん今は高齢者)や映画関係者から、敬意と愛情を持って語られている。特筆すべきは、彼女自身が幼い頃に死別した芸術家・写真家である父親の影響をかなり受けていて、彼女自身もカメラ片手に様々な映像を撮り残していたことだろう。彼女がカメラの前で”ありのままの自然体”でいられるのも納得できた。(ちなみに彼女が撮った映像にはナチス政権が幅をきかせていたドイツを始め、第二次世界大戦前後のヨーロッパ、アメリカ社会も記録されており、貴重な記録映画としても興味深かった)。聡明な彼女なら自分の死後、それらの映像が公開されることを見越していたかもしれない。自伝からの引用だったのか忘れてしまったが、映画の中で彼女はこんなメッセージを残している。

勇気、冒険心、ユーモア、そして少しの常識を持てば人生は豊かになれるのです

※引用者注:文末は「幸せになれるのです」、だったかも

波乱万丈の彼女の人生から生まれた言葉であり、彼女の人生を凝縮している言葉だと思う。

 もう一つ、興味深いシーンがあった。本番用ではなくテストテイクだったのか、カメラが容赦なく老齢のイングリッド・バーグマンの顔にズームインした。しみ・そばかすこそ目立たなかったが、透き通った白い肌はしわだらけで、普通の女優なら嫌がるショットだと思う。だが彼女は若い頃のような恥じらいを見せることもなく、とりたててムッとしている風でもない。深いエメラルド色の瞳はカメラ(こちら)を、しっかりと真っ直ぐに見据えていた。経験を重ね、歳を重ねた彼女も、うっとりするほど美しかった。この映画を通して女優としての演技力だけでなく、彼女の生き方そのものが再評価されていくことを心から願っている。