のんびり寄り道人生

何とかなるでしょ。のんびり生きましょう

何かいた!

 家族連れで賑わう日曜日。電車に乗った。向かいには、親子2組(ママと、その子供たち)が賑やかに話しながら座っていた。これから動物園に皆で遊びに行くようだ。小学生(低学年)くらいだろうか?小さな男の子はたかぶる気持ちを隠しきれない。キョロキョロ車内を見回したり、足をバタつかせたり、「(動物園に行ったら)○○見たい!✕✕も(見る)!」と、おしゃべりが止まらない。非日常の中にあって落ち着いていられるはずがない歳頃だ。男の子の興奮ぶりが、ひしひし伝わってきて微笑ましかった。

 ちょうど車両が地下を抜け、緑豊かな山上に出た時だった。

 「あっ、ママ、今、何かいた!何かいたよ!!」と、男の子は、深緑が映える車窓を指差しながら、母親の腕を引っ張った。ママ友とのおしゃべりを遮られ、若い女性はイラついたのだろう。「そんなのいるはずないでしょ!バカなの!?」と、強い調子で声を荒げた。そして再びママ友と話し始めた。ママの一撃に男の子のワクワクした想いは急激にしぼんだのが見て取れた。男の子は黙って、しょんぼりうつ向いた。

 男の子は深緑の中に鳥か何か動くものを見たのかもしれない。あるいは、これから会いに行く動物たちに思いを馳せるあまり、風による葉っぱの揺れに”脳内動物”を見たのかもしれない。いずれにせよ、若いママのちょっとした思慮のなさが心に引っかかった。

 『いるはずない!』って断言するんかぁ…『自然が残っている山の中なら、動物くらい棲んでるだろう』、っていう発想はないのかな?まさか都会っ子!?彼女にとって、動物は”動物園”など、人間が造ったエリアにしか生息していないのだろうか?さすがにそこまで”バカ”じゃないだろうから、やはりママ友との楽しいおしゃべりを中断されて、ちょっとムカついたんかなぁ。。ま、それでもあの言い方はひどいなぁ〜(きっと隣のママ友も内心では驚いたはず)。

 ちなみに男の子が何かを見たと叫んだ地点は、電線など人工物が一切なく、都市部にあって自然がそのままの形で残されている珍しいスポットだ。たまに熊も出没するらしく、注意喚起が発信されるエリアでもある。そんな予備知識もなく、小さな男の子は遠目から何か(生き物)を見つけたのかもしれないのだ。その観察力に感心したので、落ち込んでいる男の子を何とか励ませないだろうか?と妄想した。

 「おばちゃんも見たで!何かいたなぁ〜!!何やろうなぁ、アレ?」ここが関西なら迷うことなく、”ウソも方便”を使っただろう。いくらわざとらしくても、コミュニケーションのきっかけをこちらが作れば、たいていは相手もそれなりに”乗ってくれる”。だが、この地では”そういうの”は敬遠されがちだ。これまで大の子供好きが災いし!?何度か子供たちに話しかけたことがあるが、(赤ちゃんを除き)たいてい子供の目は怯え、親御さんには怪しまれた。。いくつかの苦い思い出が蘇り、冷静になれた。『いきなり見ず知らずのおばさんが”味方”になってくれても母親側につくよな。。。』何より男の子の向かいに座っている自分が彼と同じものを見ているはずがないやん!っていうツッコミが自分に向けられた。もはや自分にできることは何もないことを知り、大人しく”見て見ぬふり”を決め込んだ。

 自宅に帰ってからも何だかモヤモヤした気分が晴れない。(絶対本人には届かないと思うが)あの男の子に孤高の前衛芸術家・岡本太郎の言葉を捧げよう。(以下、岡本太郎孤独がきみを強くする」より引用。初出不明)

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誤解される人の姿は美しい。

人は誤解を恐れる。

だが、ほんとうに生きる者は、とうぜん誤解される。

誤解される分量に応じて、

その人は強く豊かなのだ。

誤解の満艦飾となって、

誇らかに華やぐべきだ。