のんびり寄り道人生

何とかなるでしょ。のんびり生きましょう

映画『ある日どこかで』

 昔、好きだった映画『ある日どこかで』(Somewhere in Time)(1980年アメリカ公開)を、ふと思い出した。

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 ストーリーは、クリストファー・リーヴ演じる脚本家志望の青年が、あるホテルの歴史資料室で一目惚れしたジェーン・シーモア演じる女優に会うため、過去へタイムトリップするというファンタジー要素を含む、甘く切ないラブストーリーだ。セルゲイ・ラフマニノフ作曲「パガニーニのラプソディー」など、二人の恋心を盛り上げる音楽の演出が心地よく、美男美女が織りなす非現実的な恋愛模様に、しばしウットリしたものだ。

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 確か、この映画を最初にテレビで観たのは中学生の時だったと思う。念願の個室を与えられ、深夜遅くまでテレビを観ていた時に本作に出会った。学校と塾に行く以外は自室に引きこもり、家族と会話することさえ拒否していた反抗期真っ盛りだった。幸い?ぐんぐん成績が伸びて特にトラブルなども起こさなかったため、周囲には”異変”を気づかれなかったが、この頃は一番精神的にヤバかった時期だった。誰からも干渉されない自由空間を得たせいで、夏休みなどは全く誰にも会わず、他者とのコミュニケーションを避けていた。働いて生活を営むことで精一杯の親にも頼れず、身近に悩みを吐露できる大人や親しい友人もいない中、どうにもならない孤独感だけを噛み締めながら、過去のトラウマや将来の不安に一人苛まれていた。

 結局、その後1〜2年くらいで”普通の中学生”に戻ることができた。グダグダしながら落ちるところまで落ちて気が済んだのか、これ以上、親を心配させられないと”良い子の私”が勝ったのか、親から差し入れられるインスタント食品に飽きて美味しい手料理を食べたくなったのか、立ち直った理由は定かではない(たぶん先にあげた全部が正解なのだろう)。そしてこの頃、一番多く映画を観ていたし、一番多く音楽を聴いていた。傷ついた心を癒やしてくれるオアシスは映画や音楽の世界だった。ただ、辛い記憶と結びついている作品群は、今観直そうとしても作品本来の世界にどっぷり浸れない。。。せっかくなので本作も観直そうと試みたのだが、やっぱりダメだった。。。主人公たちに我が身を重ね、甘いロマンスに浸るには、歳を取りすぎたせいかもしれない。

 ちなみに、そんな悩み多き中学生の頃、ある不思議な体験をした。詳細はあまり覚えていないのだが、ある日こたつに足を入れて座って、ぼんやりと前を見ていたところ、急に目の前の物(コップや文具類)が何か得体の知れないものに見えたのだ。「これはいったい何なんだ?(=まずモノという概念が分からなかった)」しかも、それらの大きさがとてつもなく大きいので、ますます怖い!まるで自分が小人になって、異世界に迷い込んでしまったような感覚に襲われた。今、目の前で起こっている”現実”を脳が認知できず、しばし戸惑っていたのだろう(脳神経の情報処理ミスだったのか?)。だが、すぐに『そっちじゃない!こっちだ!帰ってこい!!』と、脳が”仕切り直した”ので、次の瞬間にはいつもの”現実”に戻っていた。目の前の物も元の大きさに戻っていた。また目の前にあるものが単なる日常品に過ぎないことも認識できた。ホッとした瞬間、たった今、入り込んでしまった異次元?に、みるみる好奇心が芽生え、何度もじっと前を見つめながら”再現”を試みたが、何度やってもダメだった。

 本作に惹かれたのは、主人公たちの甘いロマンスもさることながら、(ネタバレになるが)過去から現在に戻ってしまった主人公が再び過去に戻ろうと、必死で自分に催眠術をかけている姿に既視感と共感を覚えたからである。もし自ら不思議な体験をしていなかったら本作は単なるファンタジー映画なのだが、私にとっては一概にそうとも言えないのだ。

 後で調べて分かったことだが、私が体験したのは現実感消失症と言われているらしい。(以下、MSD Manualより引用)

現実感消失の症状としては、外界(人、物、あらゆること)から切り離されているように感じられ、外界のことが現実ではないように思えます。自分が夢や霧の中にいるかのように、あるいはガラスの壁や幕によって周囲から隔てられているかのように感じることもあります。世界が生命感や色彩を失ったように思えたり、人工物であるかのように感じたりします。世界が歪んで見えることもあります。例えば、物がぼやけて見えたり、異常に明瞭に見えたり、実際よりも平板に見えたり、現実と異なる大きさで見えたりします。音が実際と異なる大きさで聞こえることもあります。時間が現実とは異なる速さで経過しているように感じられることもあります。

 昔は離人症離人感)かもしれないと思っていたが、”自分を見ている”自分がいたわけではなく、ただ現実感がなくなっただけなので、”現実感の消失”という方がしっくりくる。今のところ1回しか経験していないが、歳を取って脳の制御機能が弱くなったてきたら何度も繰り返すかもしれない。このままのんびり孤独死でも悪くはないと思っているが、認知力が落ちて周囲に迷惑をかけた結果、精神病院に入れられて不自由の身となるのは嫌だなぁ。。。

NHKドキュメンタリー ETV特集「長すぎた入院」

 

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