のんびり寄り道人生

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女装して、一年間暮らしてみました。

 クリスチャン・ザイデル 著、長谷川圭 訳『女装して、一年間暮らしてみました。』を読んだ。(以下にて電子版の立ち読み可)

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 かつて著者はテレビ番組・映画プロデューサーとしてスーパーモデル・クラウディア・シファー等のアドバイザーを務め、最先端の流行を作り出す華やかな広告業界で名を馳せていた。だが、2005年に自動車事故で九死に一生を得た後は、それまでの仕事から一切、手を引き、東洋哲学の研究と執筆に専念しているそうだ。現在は妻とドイツ・ミュンヘンとイタリアで暮らしているという。(以上、著者略歴より一部抜粋)

 本書の表紙を飾る著者の姿は、なんともシュールだ。化粧っ気のない中年おやじが上半身裸でマニキュアにハイヒールを身につけて胸元を隠している。愛想笑いのかけらもなく、こちらを真っ直ぐ見つめている。(ちなみにページをめくると本文中にミニスカートで着飾った、笑顔の著者写真もある)

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 本書は中年おやじが一年間という期間限定で女装「実験」をやったドキュメンタリーだ。「随分ノリのいい、ぶっ飛んだおやじだな」と思いながら本書を読み進めたのだが、率直に語られる”女性像”について興味深い場面があった。

 ある日、女装姿でめかしこんだ著者は女子会に招かれる。女子会トークに欠かせない話題は「理想の男性」について。ある女性が著者に向かって話しかけた。

「私はね、柔らかいけど、しっかりと自分をもった男の人が好き。ソフトであると同時にハードな人。少し頑固なところがあったほうがいいわね」

「何、それ?」僕は答えていた。「弱いのに頑固?ソフトなのにハード?」

 

 この会話のせいで、僕は混乱していた。

 女性は多重人格者を求めているのか?スイスアーミーナイフのように何でもできて、しかも天使のようにやさしく感受性が豊かな男。実験を始める前から、女性がそうした男性を理想とすることにはうすうす気づいていた。でもこうして改めて聞くと、女性の側もまた、男女間のアンバランスを生み出す原因なのではないかという気がしてきた。男性が女はこんなものだと決めつけるのと同じように、女性も男性に一定の行動を要求してくる。

 この会話で得た印象は、僕が女性として体験したものと大部分が一致していた。僕が常に感心していたのは、女性の誠実さだ。それに知性。EQと呼ばれる感情知能のことだ。男としての僕は、ウソ偽りのない誠実な人物だっただろうか?

 その答えはどうであれ、いま僕は女性の視点に立って社会をながめている。なんと貴重な体験だろう。通りの反対側から男たちが見つめてきたとき、最初は僕もーーほかの女性たちと同じようにーーうっとうしいと思った。でも、今になって思うと、自分に対してウソをついていただけかもしれない。

 僕がそう反応したのは、自然な感情ではなくて、女性ならこうするだろうという思い込みからなのではないだろうか。つまり、一般的な女性のイメージに僕も束縛されていたことになる。僕は男なのに。

 女性も、結局はみんなが考える役割を演じているようだ。どちらの側から見ても、僕は自分が考えるクリスチアーネ(※引用者注:著者の女性名)という女性の役割を演じているだけのような気がする。かつて男の役割を演じていたように。外の世界が投影するイメージをコピーしただけかもしれない。

 そのことに気づいてから、心の奥底で自分は何を感じているのか、と考えるようになった。そして、まわりの人から注目されることを自分は楽しんでいるのだとわかった。視線を心地よく感じるようになっている。見られることを受け入れると、男性の目も少しオープンなものに変わっていった。僕がほほえみ返すとーー女性が女性を見るのと同じ目でーー男性が僕を見つめ返すこともあった。僕にほほえみかけてくるのだ。すると、僕の心がときめきはじめる。男性にもそういう心理が存在する。

 まだ会ったばかりなのに、僕たちの会話は弾んだ。

 ”想像力”と”共感力”を駆使しながら”男性”と”女性”を行ったり来たりしている場面だ。果たして著者の洞察が正しいとすれば、ちまたで信じられている程、男女の差はもともとあるものでもなさそうだ。おそらく著者の言うとおり、女性も男性も”それぞれの役割を演じている”のに過ぎないのだろう。もっと付け加えると、意識しているかどうかはさておき「女性は女性らしく男性は男性らしく振る舞うべし」という見えない常識(圧力)によって”社会的な役割”を演じているのに過ぎないのだろう。

 巷でよく知られているように人間は社会性を持った存在だ。脳科学的には、社会性とは脳の性質によって後天的に身に付く、とも言われている。生物としては元来、性差がさほどあるわけではないという。胎児期においては発達の途中で浴びるホルモン量が違うことで男になるか女になるかが決まるらしい。生殖器など肉体上の分化はもちろんあるが、社会生活を営む中で、それぞれの”性”にさらに「分かれていく」。

 異性の視点で”性差”についてさらに探求するため、著者のような無邪気さと情熱で自分も男装「実験」をしてみれば、何か面白い発見があるかもしれない。とは思うものの、やはり本書の後半で明かされる悲しいエピソードの数々※を読むと、とてもじゃないが行動に移す勇気は出ない。。心から気の毒だと思うのだが、今の時代、LGBTの皆さんの”カミングアウト”の難しさがリアルに思いやられた。。

※女装「実験」を続ける著者に対する風当たりの強さが日々増していき、やがて挫折(中座?)せざるを得ない状況に至る。

 それにしても華やかな業界の出身である著者は、長い間ずいぶん魅力的なセレブ女性たちに囲まれて過ごしていたのだろう。そんな彼女らや美しい妻をモデルとしながら”理想的な女装”をし、自らの恵まれた体型もあって、著者がファッショナブルな”女性像”にこだわるのも至極当然のことと思う。ただ長年”女”を演っていると、結構面倒くさいことも多い。著者にはそのあたりこそ体験&考察してほしいので、女装「実験」は1年と言わず何年か継続してから、ぜひ続編を書いていただきたい。(ちなみに翻訳がシンプルでテンポよく本書を読み進めることができた。ぜひ続編も同じ訳者を希望)

 デパートの1Fに広がる化粧品と香水の匂いに吐き気を覚え、誰かが仕掛けた流行を追うこともない。華やかな女性誌を読まず、スタイリッシュな高級ブランドやミーハーな芸能ニュースにも興味がない。”女”の面倒くさい役割から距離を置いてから、私はのびのび自由になれた。