のんびり寄り道人生

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シナリオ版『さよならジュピター』

 小松左京著 シナリオ版『さよならジュピター』を読んだ。あとがきを入れても177ページという薄さだ。ストーリーをざっくり把握したかっただけなので、余計な風景描写にイラつくこともなく、通勤の合間を縫ってサクサク読めた。持ち運びが楽な文庫本は実に有り難いものだが、もはやスマホに取って代わられたようで、電車の中で文庫本を読んでいる人を見かけることはなくなった(電子書籍で読んでるのかな?)。

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以下、ウィキペディアさよならジュピター』より一部抜粋。

さよならジュピター』(英題:Bye-bye, Jupiter)は、1984年に公開された東宝と株式会社イオの共同製作による日本のSF映画(特撮映画)およびその原案をノベライズしたSF小説

地球に接近したマイクロブラックホールを、木星の爆発により、軌道変更させようとするプロジェクトを軸に、さまざまな人間模様を描く。人類生存のために木星破壊も辞さない技術者グループと自然保護を訴える反科学の宗教集団との対立劇に、主役とヒロインの『ロミオとジュリエット』的恋愛要素が加わり、光線銃によるアクションなども盛り込まれたが、映画作品としての評価は非常に低く、「いろいろ詰め込み過ぎて破裂した」と、各方面で酷評されている。
制作費が当初予算の1/3程度に抑えられた[1]上に、予定していた映画監督の死去などの不運も重なり、当初の詳細なストーリーやプロットを活かしきる事ができずにヒット作とする事ができなかった。

 本作を映画化した『さよならジュピター』は世間(とりわけSFマニアの間)でかなり酷評されているようだ。興行的にも数字が悪かったらしく、原作・制作・脚本・総監督を務めた小松左京氏はかなり借金を負うはめになったらしい。

 私が映画版『さよならジュピター』をテレビで観たのは小学生の頃だった。子供だったから”ツッコミどころ”が分からず、全てを真に受けたのだろう。それが結果的には良かった。22世紀を描いた映画の世界にスムーズに入っていけた。とりわけ爆発間際の木星に、負傷した主人公・英二と恋人・マリアが乗ったミネルヴァ基地が堕ちて行くラストシーンでは涙が止まらなかった。(以下、シナリオ版『さよならジュピター』より一部抜粋。「ーー」は原作では長線) 

169 ミネルヴァ基地・調整室

ゆれる調整室。

抱き合っている英二とマリア。

通信器からノイズとともに洞窟にエコーするような、音声とも叫びともつかぬ音響が、調整室一ぱいにひびく。

英二:「ほらーー木星がーーぼくたちにおわかれのあいさつをしている。ーー。きこえるだろう、マリアーー。自分はーー太陽系をまもるために、ーー宇宙のガスとなって消えてゆくってーー。自分はーーそれでいいってーー。生きのこったものたちがーーさらに、太陽系をこえて、ーー宇宙へーー」

マリア:「英二!ーーしっかりしてーー英二ーー」

英二:「ほらーー木星がーージュピターがーーさよならっていってるーー(二人の眼前を死体が漂っていく)ーーさよなら、ジュピター!ーー」

英二、目を開いたまま息絶える。

マリア:「英二!」

オレンジ、青、白の光を背景に抱き合ってただよってゆく、二人のシルエット。

 

170 木星上空

白熱した木星へおちてゆくミネルヴァ基地。

 こうして活字(シナリオ版という超簡潔な表現)で読むと、ありきたりのメロドラマの、何ともベタなシーンである。だが、まだ子供だった私は、主人公の自己犠牲精神に心打たれたのかもしれない。あるいは自分が暮らす地球の運命、すなわち壮大な宇宙にあって、いずれはこういう”悲劇”が現実に起こるかもしれない(自分を含む人間が助かる保証はない)という”畏れ”を抱きショックを受けたのかもしれない。ただ、それだけではない感想を、今でもはっきりと覚えている。

 『こんな風に(自分も)死ねたらなぁ』

 こんな感想を子供が言ったら、皆かなりギョッとするだろう(当時から「言ってはいけないことだ」と分かっていたので誰にも言わなかった)。だが、テレビなどを通して、戦争で死んでいく人、事故や事件に巻き込まれて死んでいく人、自殺する人、病死する人、寿命を迎える人を見ていると、子供心に人生の儚さ、とりわけ誰にも等しく訪れる”死”について関心を持たずにはいられなかった。

 そういうわけで、当時とりたててSFものに興味があったわけではなかったが、星占いや死後の世界など目に見えない世界、科学で実証されない世界(いわゆるオカルト一般)にハマった。「なぜ人は死ぬのか?」、「どういう風に死ぬのか?」を詳らかに知りたかった。誤解がないように一応書いておくが、誰かを殺めて、その死に行く様子を観察したい、というような欲求ではない。

 だが、そんな話、学校では教えてもらえない。”生きる”ことに精一杯な周りの大人たちに聞いても「そんなこと考えるな!」と怒られるだけだ。。偉いとされる宗教家の話をテレビで聞いても、特番で担ぎ出される臨死体験者の話を聞いても、タブー視されるオカルト映画を観ても、いくら熱心に考えても全然分からない(今なら昔の自分に『哲学の本を読みなさい』とアドバイスできるのだが、読書という行為そのものが苦痛だった…)。結局「死ぬのは仕方ないにせよ、痛いのは嫌だなぁ」というシンプルな結論に達した。(実際はどうか分からないが)苦痛を味わうことなく、広大な宇宙空間の中で一瞬の内に生命を終わらすことができるなんて、最高の”終わり方”じゃないか!と思ったものだ。

 (もちろん今のCG技術に比較するとショボさが目立つが)当時の最新技術を取り入れた木星の映像※に、すっかり魅せられた。球形のフォルムにマーブル柄が美しい大赤斑。(ちなみに当時は分からなかったが、1979年にボイジャー1号によって初めて観測されたばかりの木星の”環”もしっかり挿入されているそうだ)。ラストシーンで主人公らと共に木星に吸い込まれていくような感覚は、一種の”恍惚感”だったのかもしれない。過去のことはほとんど覚えていない自分が未だに、この感覚を覚えているのが不思議だ。

※特撮用の木星の模型などは、NASAJPL(ジェット推進研究所)でスチール写真に落とす処理を行ったボイジャーの撮影データがそのまま用いられたという(ウィキペディアより引用)

www.nasa.gov

 ちなみに当時公開されていた『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』は映画館で観た。だが、字幕を目で追えなくて、ストーリーが複雑すぎて、またアクションものには全く興味がなかったので、上映中は爆睡していた(なので、珍しく映画に連れて行ってくれた伯父は、その後二度と誘ってくれなかった)。たとえ本作が、SF映画の金字塔とされる『2001年宇宙の旅』や『スター・ウォーズ』シリーズに迫ろうとした、和製SFの”駄作”と酷評されていても、やはり本作への”思い入れ”は変わらない。そのうち機会があれば映画に盛り込めなかった内容を新たに付け加えた小説『さよならジュピター』を読んでみたい。また映画のメイキング映像も観てみたい。

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 (番外1)小松氏の秘書をされていた乙部順子氏が昨年、書籍を出版された。小松氏の本作への”こだわり”についても記述されているそうだ。

書籍『小松左京さんと日本沈没 秘書物語』|産経新聞出版

 (番外2)一時は夢路いとし・喜味こいし師匠の漫才作家としても活躍されていたという小松氏。味のある関西弁が実に小気味よい。

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