のんびり寄り道人生

何とかなるでしょ。のんびり生きましょう

KUMON日本語プログラム

 先月から母が公文教室に通い始めた。体験学習に参加して、継続を決めたようだ。

 母国では義務教育すらまともに受けられず、異国の地では生活のため休みなく働いてきた母だが、還暦を過ぎてから漸く日本語コンプレックスに向き合う余裕ができたようだ。これまでNPOや自治体が主催する日本語教室に通ったこともあったが、私たち(子世代)のように学校での集団教育に慣れていないので、そこでの人間付き合いが相当ストレスだったようだ。母の希望は通信教育での学びだったが、心身の健康のためには外出の機会をなるべく作った方がよいと考えた。件の夜間中学校は実質的には個別指導なので、近隣の夜間中学への入学を母に熱心に勧めてみたが、平日週5日の通学はやはりハードなようで、あっさり却下されてしまった。結局、通学で好きな時に学べる日本語教室を探していたところ、自宅近くの公文教室にたどり着いた。(ちなみに5年程前、同じ公文教室に問い合わせた際は「外国人の受け入れはやってない」と無碍に断られていた。だが、今や海外展開も積極的に行っている世界のKUMONである。ダメ元で再アタックしてみたら”鎖国政策”の一つが解除された)

 そう言えば、私が公立小学校入学を許可された際も一悶着あったと聞いている。当時、日本語が話せない外国人の子供が一人もいない、前例がないという理由で入学を拒否されたそうだが、日本語が話せる伯母が校長先生に向けて土下座しながら、「この子は利口だから、すぐに日本語を覚えられます!ご迷惑はおかけしません!!」などとハッタリを言って、校長室で懇願してくれたらしい。

 おかげで何とか入学を許可されたわけだが、日本語が全く分からないまま、日本人の集団に放り込まれた私は、それなりの苦労を味わった。もし当時、近隣地域に夜間中学があったならば、今の母のように自主的に通ったかもしれない。当時は子供心ながら「容姿も悪い…。運動もできない…。何とかやれている勉強すらできなければ、この地で私は生きていけない…」という悲壮な切迫感があった。学校で配布される保護者向けの資料も自分で読み、保護者がやるべきことも、お金の支払い以外は何でも自分でやった。また成績が上がって皆に一目置かれると、執拗ないじめから逃れられることにも気づいた。切羽詰まった状況の中、根っからの怠け者で学校嫌いの私ではあったが、真面目に勉強だけは続けた(学ぶこと本来の面白さは大人になってから分かった…)。

 誰にも等しく与えられているはずの”教育を受ける権利”だが、その権利を行使するためには、いろいろと一筋縄ではいかないようだ。教育に限らないが、環境が整備されていないことをただ嘆くのは簡単であり、結局、何か不備に気づいて「やってやろう!」と思った誰かが、一つ一つ改善していくほかない。そういう意味で、子供たちを取り巻く大人たちの役割が大きい。

 法律が整備され、子供の人権が尊重されていくことは大変結構なことだが、その度に(多少の大人の都合もあって)子供たちが振り回されている気がしてならない。「あっちへ行ったら?こっちへ行ったら?ああしたら?こうしたら?」と、子供たちに押し付ける前に、まずは大人が大人のためにできることを、どんどんやってはどうかと思う。平たく言えば、子供を”実験台”に載せるな!ということだ。子供は何も言わなくても大人をよく観ている。子供が自分の頭で考え、暫定的にせよ自分の世界観を持つことの方が、成長期においては重要なのではないか?と思う。反面教師も含めて、大人の在り方から自分の在り方を模索する。あとで、やっぱり違うと思えば、やり直せばいい。大人が子供に伝えるメッセージとして、とりあえずそれで十分だと思うが、楽観的な理想論なのだろうか?

 先の法整備によって、学齢期にある不登校児たちと、学び直しをする学齢超過者たちは恐らく同じ学校にあっても別々のクラスに振り分けられるのだろう(※人数が少なければ同じクラスかな?)。しかし、凝り固まった従来の人間関係を離れ、年齢の違う、立場の違う学友たちと交流することで、心を閉ざしている不登校の子供たちに何か響くかもしれない。例えば私にとっては近所の学習塾が、その役割を果たしてくれた。クラスは少人数制で、他校の生徒たちや、授業が面白く信頼できる先生たちに勉強を教えてもらいながら、たっぷり”自尊心”や”自信”をつけさせてもらったのだ。

 子供たちがマイペースで育っていく中で、学ぶこと本来の喜び、できなかったことができるようになる喜びを、まずは味わってほしい。それでこその”権利”である。もちろん大人になってからでも遅くはない。学びたい時が、学ぶ時なのだ。

 子供たちに混じって、母が公文教室で勉強している姿を思い浮かべると、ちょっと笑える。しかし母から届く宅急便の伝票に書かれた文字が、日増しに上手になっていくのを見るにつけ、こちらも嬉しくなってくる。民間企業のアイディアも多様な教育の在り方を提言している。教育行政に任せっきりにせず、相性の合うところが見つかるまでは、いろいろ試してみるほかない。今の学校教育が全てではない。新しい教育の形が、あちらこちらで模索されている。