のんびり寄り道人生

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ソウル・パワー

 映画『ソウル・パワー』を観た。劇場公開時に見て以来、3度目の鑑賞だ。

 以下、映画『ソウル・パワー』公式サイトより、一部引用

熱心な音楽ファンの間では“キンシャサの奇跡”と称されたモハメド・アリジョージ・フォアマンの対戦(引用者注:※参照)前に行われた、『ザイール'74』と題されたコンサートの存在は語られ続けていたが、それがいったいどういったものなのか全貌を知る手だては今まで存在しなかった。それが、当時のアリの試合をドキュメントした『モハメド・アリかけがえのない日々』(1997年アカデミー賞ドキュメンタリー部門受賞)の編集担当だったジェフリー・レヴィ=ヒントの手により34年もの間、お倉入りとされていた125時間にわたるフィルムが編集され2009年に蘇ったのだった。

(略)そしてそこからさらに10年の歳月を経てヒント監督により、ついに日の目を見ることとなった作品がこの『ソウル・パワー』だ。

最も脂が乗った時代のジェームス・ブラウンをはじめ、B.B.キング、セリア・クルース、ミリアム・マケバ、ビル・ウィザース、ザ・スピナーズ、ザ・クルセイダーズなどアフリカン・アメリカン・ミュージシャンらとアフリカのミュージシャンが競演するという歴史的コンサートが『ザイール'74』だ。彼らはザイールの観衆に熱狂を与えただけではなく、自分たちのルーツであるアフリカに帰って最高のパフォーマンスをしたことは、彼らのキャリアにとっても大きく触発される出来事であった。

(略)

さらに『ソウル・パワー』ではライブシーンだけではなく、コンサートが開催されるまでの困難なプロセス、そしてドン・キングモハメド・アリによるトークを巧みに編集し映画の中に織り交ぜ、このコンサートが20世紀に行われたアフリカン・アメリカンのミュージック・イベントとして、神話的な重要性を獲得していることを証明している。

※【WBA、WBC世界ヘビー級タイトルマッチ】1974 10 30 キンシャサの奇跡 モハメド・アリ vs ジョージ・フォアマン - YouTube

 以前はジェームス・ブラウンB.B.キングなど、ソウルミュージック界の巨匠らの音楽パフォーマンスやモハメド・アリbig mouthばかりに気を取られて鑑賞していたが、さすがに三度目となると、その他にもいろいろ見えてくる。とりわけ1974年の旧ザイール共和国(現コンゴ民主共和国)の首都キンシャシャの様子は当時の社会を記録する貴重なドキュメンタリー映像として実に興味深かった。

 木々の緑がほとんどなく乾いた大地で暮らす人々は決して豊かな生活ぶりには見えないが、子供たちの身体は活発に動き回っていて健康的だ。母親は赤ちゃんを大切に抱えながら手早く身支度を済ませ、老人たちは穏やかな表情を浮かべてゆったり構えている。働き盛りの男たちは、世紀の一大イベントのためアメリカから現地入りした白人たちと音楽という”共通言語”を通じて自然に交流している。道路はそれなりに整備されているし、建物も破壊されていない。富を独占する独裁者はいたかもしれないが、国を亡ぼす勢いの政府軍、テロリストたちは表出していない。まだ牧歌的な時代が美しく、セピア色のカラー映像に目を奪われた。

 『一体いつまでアフリカの大地は戦禍を被るのだろう…』ふと現実に帰ってしまった。隣接する南スーダンへの自衛隊派遣問題など、今メディアで垣間見る現実が心によぎった(南スーダンへの渡航について国民に退避勧告を呼びかけながら、そこに自衛隊を送り込もうとは…世界における日本の役割って他にないのか??)。映像が圧巻のライブパフォーマンスの場面に切り替わった後も、イマイチ気分が盛り上がらない。。

www.anzen.mofa.go.jp

 そう言えば10年くらい前に隣接するタンザニアに行く機会があった。野生動物を密猟者から守るレンジャーとして実務経験を積むため現地留学していた親友と一緒に、初のアフリカ大陸を旅する予定であった。だが、領事館でのパスポート更新手続きに1年以上かかってしまったため旅行計画は流れてしまった。。領事館の担当者に更新できない理由を問い合わせると、データベースに私の名前がないのだと言う。「そんなはずはない」と言って古いパスポートを見せても、「ないものはない」の繰り返しだった。。

 あまりの理不尽に最初はパニックを起こしていたが、『こんなことで海外旅行の機会を奪われてたまるか!』『無戸(国)籍にされてたまるか!』とsoul power(精神力)で踏ん張った。(平日、仕事を休んで)往復2時間以上かけて根気よく領事館に通った。その際、過去の戸籍コピーを持って行ったり、彼らが根拠とする言葉の矛盾を帰宅後じっくり調べては”新たな証拠”を持参した。

 そんなこんなで1年以上が経過し、窓口担当者も異動(交代)し、さすがに向こうも根負けしたのだろう。最後まで自分たちの非こそ認めなかったが(恐らく戸籍台帳から電子化に際してデータの移行漏れがあったのだろう)、同情と慰労の混じった言葉と共に、ようやくパスポートを更新してくれた。だが、その頃には仕事もすっかり忙しくなっており、とうていリベンジ旅行どころではなかった。。今になって改めて逃したタイミングを残念に思う。。