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ETV特集「わたしのCasa(家)“日系南米人”団地物語」

ETV特集「わたしのCasa(家) “日系南米人”団地物語」を観た。

www4.nhk.or.jp

静岡県磐田市にある東新町団地。住民の約半数はブラジルやペルーにルーツを持つ「日系南米人」だ。日本で暮らす外国人に何が起きているのか。団地の一年間を見つめる。

「日系南米人」の多くは、機械や自動車部品などの工場で主に派遣労働者として働いている。来日のきっかけは、1990年に改正「入管法」が施行されたことだ。それから四半世紀、日本で生まれ育ち、父母の祖国を知らない「日系4世」の世代が今、就職や進学などの人生の選択に迫られている。また、日本で老いを迎えた日系南米人の中には、家族のルーツを知るための旅に出た人がいる。国に翻弄された家族たちの流転の人生を描く。(NHK番組HPより)

 日本人がやりたがらない工場などで労働力の調整弁として軽く扱われながら、先祖の祖国・日本での暮らしは夢に描いたものとは違って、かなり厳しいようだ。一人一人がアイデンティティの問題を抱えながらも何とかやっていけているのは、温かい家族の絆と、彼らを支える日本人たちのおかげだろう。しかし日本を愛し、日本人を尊敬するものの、ある日系南米人の本音は印象的だった。

日本は好きです。ただ私の国の陽気さと、この国の秩序と技術が合わさればいいんです。

道を歩いていても家の植木ですら閉鎖的に見えます。心の内もこのように閉ざされている、そんな印象です。

  私も幼少の頃、海を渡って日本にやってきた一人として、この気持ちがよく分かる。言葉も分からないまま日本人の通う公立小学校に放り込まれた時には随分と寂しい思いをしたものだ。こちらとしては言語が違うだけで(顔も似ているし)同じ仲間のつもりでフレンドリーに接するわけだが、クラスメイトたちにとってはそうじゃない。どんな場面でも”ガイジン”として排斥され、イジメられた。結局、悔しさをバネに日本語を覚え、勉強の成績を上げることで(勉強することは今後日本で生きていくために必須条件でもあった)何とかイジメからは逃げ切ることができたが、日本人に「受け入れてもらえない」寂しさや哀しさは、その後もかなり長い間、引きずっていたように思う。

 若い頃は、日本人の行動原理がよく分からず「日本人は心が冷たいなぁ」と諦めていたが、その後、親交を深めた日本人の友人たちによって、また日本人論のような専門家の分析を通じて少しずつ日本人に対する見方が変わった。感情などをあまり表に出さない(出し過ぎない)”奥ゆかしさ”をよしとする日本人の美学が、”ガイジン”には閉鎖的に映るのだろう。

 この番組を観たせいか、懐かしい思い出が湧き上がってきた。小学校のN先生(初めての担任の先生)から受けた恩義を思い出した。入学して間もない頃、まだ慣れない朝礼の時間に(たぶん貧血で)倒れたことがある。その後、親が迎えに来るまで一人学校で待っていたはずなのだが、その間N先生が近所の喫茶店に連れて行ってくれて、カレーライスを食べさせてくれたのだ(※ちなみに当時カレーライスを生まれて初めて食べたので、この食べ物が何か長い間分からずにいた)。N先生にそのことできちんと御礼を言った記憶がないのが今でも悔やまれることの一つだ。後になってN先生を探した時には既にご退職されていた。。。

 N先生の特別な取り計らいは当時の私に言葉を超えて”何か”を伝えた。読めもしない国語の教本に載っていた「おじさんのかさ」というお話を、家に帰ってから何度も何度も絵を眺めてはページを繰った。(ただ食いしん坊が食べ物に釣られてやる気が上がっただけなのかもしれないとも思うが…)

 

www.ehonnavi.net