のんびり寄り道人生

何とかなるでしょ。のんびり生きましょう

角田光代『しあわせのねだん』

 角田光代(かくたみつよ)著『しあわせのねだん』を読んだ。

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 直木賞ほか数々の文学賞を受賞している角田氏がこまめに付けている家計簿をのぞき見たいと、晶文社の編集部担当者が企画して生まれた、お金を巡るエッセイが本書だ。

(以下目次は新潮文庫版より引用) 

  • 昼めし 977円
  • Suicaカード 5000円、定期入れ 4500円
  • ヘフティのチョコレート 3000円
  • 電子辞書 24000円
  • 健康診断 0円
  • 蟹コース 5820円
  • すべすべクリーム 4500円
  • コーヒー 2.80NZドル、ヤムヌア(牛肉サラダ)ごはんつき 8NZドル
  • 理想的中身 40000円
  • ねぎそば 390円
  • 鞄 59000円
  • 空白 330円
  • 想像力 1000円
  • 携帯電話 26000円
  • イララック 1500円
  • キャンセル料 30000円
  • 冷蔵庫 136000円
  • 松茸 4800円
  • ラーメン 680円
  • クリスマス後物欲 35000円
  • ランチ(まぐろ味噌丼定食) 400円
  • 記憶 9800円×2
  • 一日(1995年の、たとえば11月9日) 5964円

 著作(小説)の”やや硬めの印象”はどこへやら、著者の人柄や”隠れたこだわり”が率直に、時に自虐的に面白おかしく語られていて、別の本を読む合間に(箸休めとして)軽く読み進められた。私は”女子マインド”が欠落しているので、買い物は機能性とコストパフォーマンスが全てであり、著者の購買基準とは相容れないが、著者の筆致がありふれた日常、人間の心理描写に長けているので、「なるほど、女性(他人)はそういう基準なのか(そんな風に思って買い物をしているのか)」と、大変参考になった。中でも著者の金銭感覚が”芽生えた”経緯が、なかなかシュールで面白い。(以下、同書「あとがき」より)

 経済状況を明らかにしない両親のもとで育った。どういうわけだかわからないが、彼らはいかなる状況のときも「お金がない」と口にしなかった。もちろん、「お金がある」とも言わなかった。(略)

 お金がない、と言われない子どもは、お金というのは絶対にあるものだと思って成長する。お金とは水道の蛇口みたいなものだと理解するのだ。断水になったり出が悪くなったりすることはあるが、私には理解を超えた地下水脈と蛇口はつながっていて、いついかなるときも水は出続ける。

 二十歳を過ぎたとき、私ははじめて母の口からお金がないと聞いた。私の父親は私が高校生のときに亡くなっており、二十歳のそのとき、母までも入院することになった。それでいろんな準備をしている最中、入院って本当にお金がかかる、お金なんかないのにねえ、と母はぼやいたのである。そのとき、私は「じゃあ銀行にいってくればいいじゃない」と言ったそうである。そうである、というのは、私自身はそんなことすっかり忘れているのだ。(略)

 私は二十二歳でひとり暮らしをはじめたのだが、そのとき母がクレジットの家族カードというものをくれた。「もし食べることにも事欠くくらいお金に困ったら、このカードを使え」というわけである。そのカードで、私は一ヶ月四十万円以上の浪費をした。「お金に困る」という実感がない私は、この食器がほしい、でもこれを買ったら食べるに事欠く、カードの出番だ、という思考回路で、服もアクセサリーも家具もCDも本も、ほしいものはほしいと思ったときにばんばん買ったのだった。これまた、地下水脈行動である。ちなみに、四十数万円の支払い後、母は私からカードを取り上げて捨てていた。

 「あのときは、どうしてお金に対してこんな素っ頓狂な娘に育ったのかと思った」と、母は件の私の愚行・愚発言を思い出しては、ときおり嘆いていた。どうしてって、お金がない、って言葉を聞かなかったからではないかと私は思う。

 カードを奪われた私は、以来、自己経済管理制のもとに生きている。つまり、自分で稼いで自分で消費する。しかし未だに、「お金というのは決してなくならない」と心のどこかで信じている。銀行残高が1000円未満になっても。数週間先まで振り込み予定がないときでも。私は確実にお金に対して何かを学び損ね、勘違いしたまま生きている。(略)

 「お金というのは決してなくならない」と心のどこかで信じている、という一文が心にグッときた。もちろん売れっ子作家である著者にとって、額面通り当面は経済的に苦労しないだろう、あるいは昔ほどの貧乏には陥らないだろう、という解釈もできる。だが「私は確実にお金に対して何かを学び損ね、勘違いしたまま生きている」と自嘲しながらも、お金と付き合い続けることの意味を未だ著者は模索しているようだ。(以下、本書「あとがき」より)

 この一年、いろんなものを買ったり、買うのをあきらめたりした。おこづかい帳をつけるつもりで書きはじめたエッセイだが、使いみちは正しいのか否か、一年を終えてもわからない。ただひとつ、わかったことがある。私たちはお金を使うとき、品物といっしょに、何かべつのものも確実に手に入れている、ということだ。大事なのは品物より、そっちのほうかもしれない、とも思う。

 「お金はいつかなくなるもの」というのが世間の常識だが、本心から「お金というのは決してなくならないものだ」と信じ続けることができれば、どんなに人生は気楽になるだろうか。もちろんお金があるからと言って、人生の悩みがなくなるわけではない。どれくらいお金を持っているかという量ではなく、お金というものに対する向き合い方、気持ちの持ち方が人生の重荷を決めているようにも思えるのだ。もちろん私にも未来に対する漠然とした不安はある。だけど欲しいものも買わず、行きたいところにも行かず、銀行に預けても利子がないからといってタンス預金に勤しむような老人にだけはなりたくない。まぁ、根がケチンボなのでありえないとは思うが、たとえ浪費によって食べるものすらなくなっても、お金に執着するような”醜さ”からはなるべく無縁でありたい。(←随分若い頃からこういう考え方だったので家族からは未だに”世間知らず”のレッテルを貼られ、”いい加減に大人になれ!”と説教を食らっている)

 

余談:昔は地味めの印象だった角田氏の笑顔が明るい!2009年に再婚したからかな?

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 それにしても「結婚に否定的だった」角田氏がロックバンド「GOING UNDER GROUND」の元ドラマーでミュージシャンの河野丈洋氏と再婚した理由が、なかなか衝撃的だった。(以下、 AERA dot.より。太字は引用者)

■助けてほしい今の状態から救い出して

妻:これは本人にもそのとき言いましたが、付き合いませんか、みたいな話になったとき、私は離婚を巡るあれこれですごくダメージを受けていたので、今の状態から救い出してくれるのであれば、半年後に私を見捨てていなくなってもいい、とにかく今いっしょにいてくれれば救われる、という気持ちでした。

夫:そこから結婚まで半年ぐらいですね。

妻:私は以前は結婚に対して否定的だったんですが、だんだんその否定する気持ちはなくなっていきました。

 年下の恋人から交際を申し込まれたら、きっと中年おばさん(失礼)なら舞い上がって嬉しい反面、心の中では『今は自分を好いてくれていても、いつか自分を離れ、若い女のもとに走るかもしれない』という一抹の不安が離れないだろう。だが、角田氏は、そんな年上女性の不安も含めて率直な思いを口にし、相手もそれを受け入れたというのだからスゴイ。どうぞ家族三人で末永くお幸せに!

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