のんびり寄り道人生

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山﨑広子著『声のサイエンス』

 音楽・音声ジャーナリスト・山﨑広子著『声のサイエンス』を読んだ。

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www.nhk-book.co.jp

以下、上記サイト「著者情報」より

山﨑 広子 著

音楽・音声ジャーナリスト。「音・人・心 研究所」理事。日本音楽知覚認知学会所属。国立音楽大学卒業後、複数の大学で心理学・音声学を学んだのち、認知心理学をベースに人間の心身への音声の影響を研究。学校教材の執筆も多く手がける。著書に『8割の人は自分の声が嫌い─心に届く声、伝わる声』(角川新書)がある。

以下、上記サイト「商品紹介」より

人は言葉より、声によって動かされている?私たちを支配する、その絶大な影響力の正体とは?
なぜ人は録音した自分の声が嫌いなのか? どうして「いい声」の人の言葉には、そうでない人より説得力があるのか? 私たちが普段何気なく使い、聞いている声には、じつは絶大な力が秘められている。それは人の心を動かし、揺さぶり、自分自身の心身さえ変えていく力を持っている──。声という神秘的で謎に満ちた「音」の正体を、多彩な知見と豊富な事例からひもとく驚きの書

 本書は、”声”や”音”をテーマに語る”サロン”のようなテイストだ。著者は自然や環境を重んじるナチュラリストなのかもしれない。随所に著者の”熱い想い”や”価値観”が散りばめられていて、サイエンス本というよりエッセイ本に近い。音や声にまつわる聴覚の不思議については、科学的にまだまだ解明されていないことが多い。だからこそ理屈はそこそこに置いておき、「”オーセンティック・ヴォイス(自分の本物の声)”を手に入れよう」と、著者は行動することを読者に呼びかける。 

 具体的には、自分の声をレコーダーに録音してから、それを再生して聴くことだという。(わざとらしい)意識的な声にならないように、普段しゃべっている会話など「録音していることを自分が意識していない状況で録音すること」が重要らしい。レコーダーから聴こえてくる自分の声は、自分の声を「空気伝いに」聞いているので”気導音”と呼ばれる。”気導音”は普段、他人が聴いている自分の声である。一方、自分で話すと(ほぼ)同時に聴こえてくる自分の声は、自分の骨など「自分の身体伝いに」聴いているので”骨導音”と呼ばれる。”気導音”も”骨導音”も言語化すれば同じだと思いがちだが、”骨導音”の場合、脳による聴覚フィードバック(修正など)がかかってしまうため、実際に発している音(すなわち”気導音”)とは違うらしい。私の経験だが、ライブ会場など生演奏で盛り上がっている時などは、”気導音”だけでなく”骨導音”で聴いている気がする。大好きなソウル・ミュージックなどでは特に生演奏のグルーブ感が半端なく心地よいのだが、それは”骨導音”で身体全体が音を”感じている”からかもしれない。(以下、本書より一部抜粋)

 録音して聴いた自分の声は、普段から出している声、人に聴かせている声です。しかし残念なことにその声は多くの場合、その人の良いところが失われていたり、作り声であったりします。まるで別人であるかのように振る舞う声、不自然に抑圧された声、生き生きとした個性が感じられない声、話すことが苦痛でしかないような声など。これでは当然ながら、声の力を活かすことができません。しかし、そのような声の裏には、その人の人生の善きものを豊かに含み、計り知れないパワーを持った声が隠れています。

 その声を見つけ出すこと、そしてそれを「心身からの」喜びを持って使えること、それが声の力を使うということです。その声は「本物の声」と言うべきもので、普段、自分が骨導音で聴いている声や、人に聴こえている声とも違います。

 録音した自分の声を嫌だなと思うのは、普段自分が聴いている骨導音ではないので違和感がある、という理由だけではありません。もっと本能的な、身体の底から湧き上がるような嫌悪があるのではないでしょうか。それはじつのところ、本物の声ではないからです。

 では、本物の声とは何か。それは「その人の心身の恒常性に適った声」のことです。

 仕事で会議中に発言することがある。あとで議事録を作成する際、レコーダーを再生すると、何とも我の強い自分の声にショックを受けたものだ。『私が他人だったら、こんな人(=自分)と一緒に仕事したくないなぁ…』と我ながら情けなかった。。だが、今になって思えば、何とか周囲の理解を得ようと(説得しようと)身体が力み、不自然な声を張り上げていたのだろう。(肩肘張らずに普段通り話せば良いことを学んだ…)。

 著者の提案「自分の心身の恒常性に適った声を探そう!」を私なりにまとめてみた。

  1. レコーダーで普段の自分の声を録音する。
  2. プレイヤーで自分の声を再生する。
  3. 「おおっ!この(私の)声いい!」と思える声が見つかる。
  4. それを何度も再生しては、発話(練習)し、”いい声”を体に覚え込ませる。
  5. 自分のお気に入りの声を”習慣化”する。

 昔、自分とは思えないくらい”写りの良い”写真を”奇跡の一枚”と呼ぶことが流行っていたが、本書の著者が提言するのは、自分にとって”奇跡の一声(ひとこえ)”を地道に発掘し、それを”奇跡”で終わらせず、ボイストレーニングで体得せよということなのだろう。まぁ、そう頭では分かっていても、今は”そこまでやる必要性”を感じないしなぁ…。「サイエンスは先行論文の主張を”疑う”ことを厭わない」って言うし、とりあえず無精者としては何とか”骨導音”で”ソレ”を済ませられないかと目論んでいる。

 話は逸れるが、NHKのアナウンサー、加賀美幸子氏、ラジオ深夜便森田美由紀氏の声は、大人の女性が発する落ち着いた低音ボイスで魅力的だ。突出したアナウンス術というテクニック面だけでなく、それぞれのお人柄が滲み出ている気がする。現在はお二人とも社内で偉くなられたようで、その声を拝聴する機会はなかなかないが、いつかお経や声明なども演ってくださったら嬉しいなぁ。

 また“麿”こと元NHKフリーアナウンサー登坂淳一氏の復活を密かに期待している。せっかくフリーになられたのに初っ端から文春の餌食になったのが大変、残念であり、気がかりでもある。”スクープ”記事を元ネタにした、いろんな”噂”があるようだが、今も温かい周囲のサポートの元、地道に活動を続けておられるようで、ちょっと安心した。

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