のんびり寄り道人生

何とかなるでしょ。のんびり生きましょう

おもいやり教室

 連日の残業でくたびれ果てて深夜に帰宅した。自宅の庭を戸口に向かって歩いていると、聞こえるはずのザッザッザッという枯れ葉を踏みしめる音が全く聞こえてこない。今朝、出勤時にそこらじゅうにあった枯れ葉を数枚、足で蹴飛ばして掃除した!?記憶が蘇る。もう一度、ちゃんと状況を確かめるためにクルッと向きを変えた。辿って来た庭石の上を戻りながら暗闇の中で目を凝らした。やはり確かにあったはずの枯れ葉が一枚もない。。落ち葉の山も見当たらない。。。

 一瞬、状況が飲み込めずうろたえてしまったが、一つ思い当たることがあった。きっと隣家のおじいさんが掃いてくれたのだろう。引越し前から落ち葉入れ用の袋を分けてくれたり、梅の木の剪定をしてくれたり大変お世話になっていたからだ。生来の怠け癖を棚に上げ、『(腰をかがめる掃除作業は悪い方の)脚がズキズキ痛むしなぁ、、、枯れ葉を踏みしめる音は防犯効果もあるしなぁ、、、(枯れ葉を放置しても)そのうち粉々になって土に還るしなぁ、、、何より隣家とは塀で隔たっているから、ご近所迷惑にもならない!』と数々の”言い訳”をつけて、敷地内に積もった大量の落ち葉を放置していた。だが、そんな荒れた庭を綺麗好き、世話好きのおじいさんは見ていられなかったのだろう。

 翌日、御礼品を携えて隣家のおじいさん宅に伺うと、おばあさんと一緒に温かく迎え入れてくれた。案の定、おじいさんが枯れ葉を掃除してくれていた。「あんた、いつ行ってもいないし、勝手に敷地に入って本当に申し訳ないね。。前の大家さんの時もやってあげていたから(荒れた庭を)見ていられなくて…」と言われてしまった。こちらのズボラさを非難することもなく何度も謝られたので、ただただ恐縮してしまった。

 久しぶりにおじいさんたちと会話を交わし、ほっこりした気持ちが蘇ってきた。おじいさんは以前半身麻痺で入院されていたのだが、今は服用薬の種類を変えたおかげで体調がすこぶる良いらしい。「仕事もないから暇潰しだよ。遠慮しなくていいし、今度から御礼品なんて持ってこなくていいよ」と笑顔でおっしゃってくださるので、「すみません、、、本当に助かります!これからもよろしくお願いします!!」と応じた。実は病的な程、他人に甘えられない性格なのだが、なぜか自然にそういう言葉がついて出たのが我ながら不思議だった。いつか、お二人の役に立てる時が来るまで、おじいさんたちの”おもいやり”を素直に受け入れようと思った。

www.afpbb.com

 中華人民共和国の国営通信社CNS(China News Service)のニュースを翻訳したAFPBB Newsの記事によると、中国・江蘇(Jiangsu)省淮安(Huaian)市に住む重度障がい者、葉海涛(Ye Haitao)さんは、両下肢の関節が全て硬直したため自宅で療養する傍ら、ベッドの上で教師になる夢を叶えたという。1999年から18年間、葉さんが教えた子供の数は300人以上で、子供たちは彼から勉強だけでなく、自信、自立、自強といった大切なことを学んでいったという。記事に掲載された写真を見ると、小さな黒板を片手に勉強を教えている葉さんを子供たちが取り囲んでいる。(授業に集中している?)子供たちの表情が実に微笑ましい。口を開けたまま授業に聴き入っている子、くりっと丸い目を見開いて黒板の数字をまっすぐ見つめている子、大きく口を開いて(葉さんの指差す数字を?)読み上げている子、そこに”やらされてる感”は見えない。もし葉さんが障がい者でなくても凄い話だと思うのだが、一人の”教育者”と、彼をサポートする葉さんのお姉さんの行動に心から感銘を受けた。きっと、この広い世界には葉さん以外にも同様の活動をされている無名の偉人たちがいることと思う。「情けは人の為ならず」とはよく言ったものだ。彼らのように”自分のため”でもあり、”他人のため”にもなる活動こそ、人の真っ当な生き方のベースになるのだろう。

 一時期、話題になった”感動ポルノ”の名付け親で2014年12月に亡くなったコメディエンヌでありジャーナリストのStella Young(ステラ・ヤング)氏の“感動ポルノ”(健常者に勇気や希望を与えるための道具)を思い出した。

www.ted.com

logmi.jp

(以下、ログミーの書き起こし文より一部引用)

 「諦める前に、やってみろ!」
これらはほんの一例に過ぎませんが、こういったイメージは世の中にあふれています。みなさんも、両手のない少女がペンを口にくわえて絵を描いている写真や、義足で走る子供の写真を見たことがあるのではないでしょうか。
こういう画像はたくさんあり、私はそれらを「感動ものポルノ」と呼んでいます。
(会場笑)
「ポルノ」という言葉をわざと使いました。なぜならこれらの写真は、ある特定のグループに属する人々を、ほかのグループの人々の利益のためにモノ扱いしているからです。障害者を、非障害者の利益のために消費の対象にしているわけです。

  ”消費の対象”…。確かにそういう面もあるかもしれない。この名スピーチはTED Talksという世界的なIdeas worth spreading(広める価値のあるアイデア)を披露するスーパープレゼンテーションの場で行われたものだ。教養のある聴衆(恐らくほとんどは非障がい者)を前に、Stella 氏はその場に相応しくウィットとデフォルメを効かせたのだろう。多少極端な物言いで社会を風刺したからこそ、彼女の考えは世界各国語に翻訳され注目を集めた。何より、このインパクトあるメッセージは、普通の障がい者、いわゆる”何者でもない”障がい者にとって”救い”であったと思う。彼女の影響は日本にも押し寄せた。 Eテレの福祉番組”バリバラ”に登場する障がい者たちの生き生きした発言が話題になり、テレビなどマスコミが自粛していた”障がい者タブー”を打ち破ったと番組制作側も高く評価された。

 ただ、こういう当事者の発言が社会にインパクトを与えれば与える程、リバウンドのような極端な”萎縮”を生むことがある。そういう”萎縮”している人たちと障がい者のテーマで話していると「障がい者だって普通の人だよ、考えることは私たちと同じだ」と何でもかんでも”同じ”だとされるので鼻白む。障がい者に限らないが、「人は同じところもあるが、違うところは違う」という当然の前提に無理やり蓋をしているように見えるので、私はこういった風通しの悪い議論や会話が苦手である。”違い”を”違い”として認めることなしに”多様性”を認めるなどありえない。何でもかんでもひっくるめて同じにしたがる、雑な”同調圧力”には、毎度うんざりさせられる。だが、私を含むそんな凡人たちの”どんぐりの背比べ談義”を他所に、世間の偉人たちはただ淡々と偉業を成しているようだ。頭で考える凄さではなく、行動することの凄さをしみじみ感じる。

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