ヤマシタトモコ『違国日記』
ヤマシタトモコ・作『違国日記』を読んだ。
(以下、漫画/電子書籍のコミックシーモアより)
35歳、少女小説家。(亡き母の妹) 15歳、女子中学生。(姉の遺児) 女王と子犬は2人暮らし。少女小説家の高代槙生(こうだいまきお)(35)は姉夫婦の葬式で遺児の・朝(あさ)(15)が親戚間をたらい回しにされているのを見過ごせず、勢いで引き取ることにした。しかし姪を連れ帰ったものの、翌日には我に返り、持ち前の人見知りが発動。槙生は、誰かと暮らすのには不向きな自分の性格を忘れていた……。対する朝は、人見知りもなく、“大人らしくない大人”・槙生との暮らしをもの珍しくも素直に受け止めていく。不器用人間と子犬のような姪がおくる年の差同居譚、手さぐり暮らし(略)
ゴールデンウィークが始まった。暇に任せて、ゴロゴロだらだらの夢の休日を過ごしている。たまたま1巻無料キャンペーンで読み始めたヤマシタトモコ氏の漫画が面白かった。本作のタイトルを思わせる朝(姪)のモノローグ(青字)が印象的だ。
朝:「槙生ちゃんてなんで掃除できないの? 」
槙生:「知らないよ。いいじゃん散らかってても。汚部屋でなけりゃ 十分十分」ちがう国
(仕事をする槙生の横で朝は寝床に就く)
槙生ちゃんの叩くパソコンのキーボードの音
たまに迷うように止まって
たまに殺すように
たぶん消去を連打する紙をめくる音と深いため息
おざなりに消された電気と
あけっぱなしのカーテンから入る
遠くのコンビニの明るさ
枕元の本の山の隙間で眠る
わたしの好きな夜ちがう国の女王の
王座のかたすみで眠る
両親を亡くし寄る辺を失った朝にとって、長らく会うことのなかった叔母の価値観は「違い」こそ際立っていたが、その存在はただ”安らぎ”を与えてくれるだけではなかった。(以下、場面は両親を失った日の場面に遡る)
槙生:「悲しい?」
朝:「・・・わ・・・」
槙生:「・・・ わからない?・・・ そうか べつにへんじゃない 悲しくなるときがきたら そのとき悲しめばいい・・・」
(略)
槙生:「日記を・・・ つけはじめるといいかも知れない この先誰があなたに何を言って・・・ 誰が何を言わなかったか あなたが今・・・ 何を感じて何を感じないのか」
日記なんてアサガオや夏休みしかやったことがないと言ったら
「アサガオの観察日記なんか大人になってからやった方が楽しいに決まってる」と彼女は言った。
たとえ二度と開かなくても いつか悲しくなったとき それがあなたの灯台になる
35歳の槙生は「人見知り」ではあるが、15歳の少女が必要としている言葉を「必要なタイミングで」かけられる”スゴ技”の持ち主だ。彼女の感性が少女のままなのか、あるいは少女向けの小説を書いているせいなのか。きっと、いずれでもあるのだろう。(いよいよ大人の階段を歩み始めた、我が姪っ子の”冷めた反応”に狼狽ばかりしている伯母としては羨ましい限りだ・・・)。
残念ながら、まだ本作の最終巻を読んでいない。エンディングが読めれば終わりを見届けたいところだが、第1巻に描かれた二人の絆だけで、ほっこり満たされた気分になっている。